午後6時 ウユニ湖の南側を湖畔にそって進む。魚の島を出発して1時間半ほど走ったところで、なっ!なんと!バスが塩のぬかるみにはまってしまって、抜け出られなくなってしまった!

前輪もこのとおり・・・

車輪の下に石や小枝を噛まそうと拾いに散らばる面々。太陽がだいぶ低くなってきた。

このあとジャッキで車輪を上げて、その下に石や小枝、ぼろ切れなどを敷いたりして何度となく脱出を試みたが、とにかくこのバス、重い!!びくともしないのだ!!日が沈むと、一気に気温が下がってきた。風も強くなってきた。初めは、まぁ何回かやればそのうちに何とかなるだろうと軽く思っていた私たちも、段々これは無理なのではないかとあきらめのムードが漂ってきた。空を見上げると満天の星。遭難するかもしれないという危機的状況の中ではなく、出来ればゆっくりとこの夜空を眺めたかったなぁと思いながら、果敢に作業している運転手のフレディーさんとガイドのマリーノさんを懐中電灯で照らす。

10数回の脱出を試みたが、結局バスは数メートル後ろに下がっただけだった。

午後8時30分 代表が歩いて30分ぐらい先の宿泊予定のホテルに助けを求めに行くか、それとも後方の歩いて30分ほどの村に助けを求めに行くか、のどちらかで相談を始める。ホテルにはクルマがある確証がないということで、後方のチュピカという村に歩いて助けを求めに行くことになる。

フレディーさん、マリーノさん、杉山さんとkenta90の4人が代表で助けを求めに行く。村の灯りを頼りに塩湖の上を歩き出した。冷え切っていた身体も歩き始めたら、少しぽかぽかしてきた。村には20分ほどで到着。

プラサをはさんで教会の向かい側に大きな古いトラックが停まっていて、そこの家の若者と交渉する。ところがこれが「父親が留守だから、勝手にトラックを動かすわけにはいかない」とか「バスを動かすとなると、あちこちに置いてある丸太の棒や器具をかき集めなければならない」とか言って、なかなか首を縦に振らない。交渉開始から約30分後、150Bs(約2,100円)の謝礼の約束で、やっと彼は重い腰を上げてくれた。

まずは、古いトラックのボンネットを開けて、ラジエターに水を入れ始めた。このトラック、なんと1962年製のトヨタだそうで、今年で43歳、私と1つ違い!続いて、奥からバッテリーを運んできて、取り付ける。エンジンルームは、エンジン、キャブレター、ラジエター、バッテリーのみで隙間だらけ。上から覗きこむと下の地面がバッチリ見える。今のクルマとは大違いだ。

トラックのエンジンがかかると、近所を回って5mほどの丸太の棒や板、大きなジャッキ、スコップ、工事現場で使う一輪車など次々荷台に乗せていく。マリーノさんの話では、彼は塩湖で動けなくなったクルマを救出する名人だそうだ。どうりで仕事はてきぱきと要領が良い。始めごねていたのは、少しでも多くの謝礼がほしかったからだろうか。交渉にあたったマリーノさんとしても、自分のガイドのミスで起こった責任から、なかなか具体的な金額を言い出せなかったようだ。

午後10時 みんなが待つ、バスが立ち往生してしまった地点に戻る。

彼はすぐに作業を開始した。バスの後輪をジャッキで上げて、左右に1本ずつ丸太をかます。前輪には板をかます。30分後、今までビクともしなかったバスが、するするとぬかるみから脱出した。

さすが名人!その後も大丈夫そうな別の道を案内してくれたが、どうしたことか、その道もぬかるみがひどい!運転手のフレディーさんは悲鳴をあげた!「これ以上進むのは無理だ!」

そこへ助け船を出してくれたのが名人!「塩湖の上でないけれど、チュピカ村にも塩のホテルがあるんだ。」

その塩のホテル「ケワイル・ウイント(ケチュア語でサボテン・コーナーの意味)」はチュピカ村のプラサから少し登った高台にあった。壁はもちろんのこと、ベッドも机もイスもみ〜んな塩で出来ている!我々は、このホテルで宿泊する事に決定。

バスに夕食と朝食の材料を積んでいたので、マリーノさんが暖かいスープを作ってくれる。

午後11時30分 就寝