パパ・サラ10年の旅

   リーダー 小村久仁夫

    パパ・サラ・クラブの会員に郵送しているパパ・サラ便りに掲載されたものです。

   

2007.9.19.更新

   


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1996年6月9日(日)益子のYさん宅中庭でのミニミニコンサート。
6月30日(日)狭山市中原公園「あじさい祭り」アトラクション。
7月24日(水)益子西明寺看清坊で初めてのコンサート。
8月1日(木)西荻窪ライブハウス「WATTS」出演等々の演奏活動を経ながら
パパ・サラの歩みが始まりました。

 長かった様な、アッという間だった様なおかげ様で細く長く解散の危機も無く10周年を迎えられた事は、ひとえにファンクラブの方々を始めたくさんの人達が支えてくれたからだと皆さんに心から感謝したいと思います。
  
1, 南アメリカのフォルクローレをできるだけ日本語で演奏していく。
2, グループのオリジナル曲を演奏していく。
  
 パパ・サラはこの2本柱でプログラムを構成していますが、この考え方は10年前に突然生まれたわけではありません。
自分自身の経歴をさかのぼることで、その答えが出てくると思います。
    
 1974年、プロのコーラスグループ「アンサンブル・ケーナ」が結成されました。それ以前の日本民謡を含めた世界各国の曲を演奏して来た中に、はっきりとフォルクローレをプログラムの中心に取り上げての演奏活動が、太田マキとアンサンブルケーナ時代を含め9年間にわたって続けられました。《日本語での主なフォルクローレ曲、コンドルは飛んで行く、花祭り、みんな一緒に、この手に大地を、天使のリン、マニフェスト、アメリカ、ある古い歌の伝説、ボリビア etc.》
    
 「アンサンブル・ケーナ」が解散した1983年にグループ「ソル・アモール」を結成し日本全国のおやこ劇場こども劇場を中心に13年間にわたる演奏活動を展開。その途中、川崎おやこ劇場でのコンサートをキッカケに、フォルクローレとオリジナル曲の2本柱のプログラムが確立され『これでやっていける』との確信のもと、それ以後の演奏活動に引き継がれました。そしてその間に現メンバーのカズちゃん、続いてハッチが加わりました。《主なオリジナル演奏曲 時の旅人(現、風になって)、銀色の森、縄文の時、月の命、花うすべに、火焔(かえん)の土器、ネプチューン、宙(そら)、空中都市マチュピチュ、チチカカへ etc.》
    
 1996年、小村、秋山、幡手、そして木村、大目が加わりパパ・サラ号の出発。旅の途中、大目ちゃんが四国高知に独立。代わって菅沼ちゃん登場。というわけで、30数年に及ぶパパ・サラのルーツに短く迫ってみました。パパ・サラには、お母さんがいておじいさんがいたということでしょう。さあ、この旅がいつまで続けられることでしょう。今後とも温かく見守っていただきたいと思います。 (2006.8.27)
      


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