幡手康隆近況

   

2008.4.16.更新


パパ・サラだより 2008年1月29日号に掲載 皆様のお陰を持ちまして、パパ・サラはまた新しい年を迎える事が出来ました。本年もどうぞ宜しくお願い致します。今年は政治、環境、スポーツなど身の回りでは、いつになく気になる話題が多い年ですが、私自身につきましては、車の車検を始め、音楽機材の修理又は買い換えや、新規システムの導入など結構まとまった出費がかさむ1年になりそうです。でもそろそろ新しいギターも欲しいしなぁ…しかし物は値上げラッシュだし、マンションのローンはまだまだあるしなぁ…。ここは一発宝くじでも当てて…いやいや、やはり真面目に頑張って仕事するのが一番、それしかないですね。でも一応宝くじは買っておきますが。
パパ・サラだより 2007年9月27日号に掲載 今回の近況でやはり外せないのは「宮崎・都城でのコンサート」のことでしょう。懐かしい風景、懐かしい味、懐かしい方々に会うことができ、とても感激致しました。実は僕がフォルクローレを演奏するきっかけになりましたパパ・サラの前身である「ソル・アモール」に加入することになり、本格的に活動し始めた場所が都城で、しかも延べ滞在日数も非常に長かった事もあり、忘れられない所です。また照明を担当してくれた「アスカ」の友ちゃんこと飯山友子さんは、ソル・アモールに加入したこともあったり、彼女自身がメイン・ボーカルをつとめたバンドでも一時期共に活動した事もあったというのもあって、再会した瞬間は感動ものでした。今回は一から十までお世話になりました寺田さんファミリーのお陰で、濃密で本当に楽しい時を過ごすことができまして、いくら感謝してもし尽せない程です。あまりにも思い出深い所ですので、今回タイミングが合わず会えなかった方(東国原知事を含め−笑−)がいることなど、少し心残な部分があるのは確かなのですが、それは「又の機会に…」と思いながら帰りの飛行機に乗りました。その日を楽しみに…ということで。
パパ・サラだより 2007年6月1日号に掲載 この‘パパサラだより’を皆様がお読みになっていらっしゃる頃には2回目の「国立・はっぽん」でのライブも終わっている頃でしょう。国立の桜は今年もきれいに咲き、満開の頃には例年どおり大変なにぎわいとなりました。今はすっかり緑生い茂り、いつもの静かな街に戻ってます。前回の話の中で南北に走る‘大学通り’という広くて長い通りのことに触れました。東京でそんなに大きな道があると、大方大きなトラックなどが行き交い騒がしいことになり兼ねないのですが、この通りについてはそういう現象はあまりみられないようです。交通量自体もさほど多いというわけでもありません。なぜ?理由をいろいろと考えてみました。国立には工場など大きな車が必要な企業がない、ということもあるでしょう。でもこの街の道路事情に大きな要因があるように思われます。実はこの街に入る為の広い道がありません。北から中心街にある大学通りに行こうとするにはJR・中央線を横切ることになりますが、乗用車がやっとすれ違うことが出来る踏切やガードしかなく、そこまでの道路も決して広くはなく一方通行が多い道。南から入る場合、東京でも有数の国道でもある20号(甲州街道)からとなりますが、大学通りとは交差しておらず、これまたあまり広くはない道路を経由し、曲がりくねりながら入ることになります。バスは通ってますが窮屈そうに走ってます。東西からに関しても同様な感じになってます。僕のマンションの前はその大学通りと交差し、東西に走る通りのひとつ‘さくら通り’も片側2車線と割と広いのですが、ちょっと行くと行き止まりになっています。将来東西の先にある大きな幹線道路に接続する計画のようですが、いつになることでしょう、全くその気配がありません。つまりこの街に用がある車、あるいはどうしてもしょうがなく通らなければならない車以外は走る気になれない構造になっている点が‘大きな通りの割に対しての大型トラックの少なさ’の要因ではないかと考えます。JR線の高架化工事が終了すれば北側の行き来はスムーズになりますが、その先が進まないかぎり交通量の増加はあまりないでしょう。話は変わりますが、映画の本編が終わると音楽(BGM)と同時に‘エンドロール’という監督の名前や制作に携わったスタッフの名前、制作会社などの名前が流れますよね。ゲームでもすべてクリアした後はだいたい映画のようなエンドロールが流れます。近日世界同時発売される予定の「DARAGONeer's Aria」というゲームのエンドロールに使われるBGMの編曲を依頼されたとき、そのゲーム会社のギター好きのクライアント(もちろん日本人です)から『ギタリストの君に是非使って欲しいギターがある、無理にとは言わないが・・・。』といって数本ギターを持ってきました。どれも高級なものばかり。その中により年上のエレキギター(1959年製とのこと)がありました。アメリカのギブソン社製のレスポールというタイプで、日本で一時期一世を風靡したバンド‘X(エックス)JAPAN’のギタリストの一人(お亡くなりになった方ではない方)が所有していた!というおまけつき。これくらいの年代のギターはとてもファンが多く、楽器屋ではだいたい鍵付きのガラスケースに収まっていて、中には100万クラスの値段がついております。借りたギターには残念ながら昔倒してしまった際の傷を修復した形跡はあるものの、さすがにバーンと弾くと昔レコードで聞いた往年の名ギタリストの音そのままで、思わずギター少年だった頃にコピーした曲を弾きたくなる感に襲われました。個人的にビンテージものにはあまり興味はありませんが、とてもいい目の保養と耳の保養になりました。楽器屋さんに行って、買う気もお金もないのに、わざわざショーケースから鍵を開けてもらって弾きまくる・・・というわけには、気が引けてなかなかいきませんから。因みに依頼されたBGMには、せっかくですのでリードギター・パート以外は殆ど借りたギターにしました。また、ゲームを全くやらないので、恥ずかしながらこのゲームの内容についてはわかりません。
パパ・サラだより 2007年3月3日号に掲載 今回のライブ記事いかがだったでしょか?実はその8日後に大学通り沿いにあるライブハウスに出演し、またその4日後再びはっぽんに出演しました。その間も市内のリハーサルスタジオに通ったり・・・上京して以来いろんな場所に住んできましたが、こんなにひとつの場所の中でぐるぐる回って済んでしまうなんて事は今までありませんでした。国立に移り住んで8年目に入りました。その間も微妙に移りゆく街の中、昔からあるらしい店も多く残っていて何だか懐かしい感じ。決して派手な感じはありませんが、ここを愛す人が多いのも分るような気がします。今回は国立駅を中心に話を進めて参りましたが、まだまだ書ききれなかった所もあります。また、機会がありましたら紹介していきたいと思います。もうすぐ桜の季節です。また今年も街がピンクに染まるのを楽しみに・・・。
パパ・サラだより 2006年12月25日号に掲載 『パパ・サラ結成当時の想い出』 2006年も早いもので、いよいよ大詰めになってきました。今年はやはりパパ・サラを結成して、おかげさまで10周年を迎える事が出来た、ということが一番でしょう。10年は一昔といいますが、月日の経つのは早いもので‘ソル・アモール’が解散したのち、小村さんとカズちゃんと3人集まってお刺身や鍋を囲みながら今後の事をあれこれ話をしたのは、ついこの間のような気がします。この10年様々な場所で演奏し、野外では大雨の時もありましたが、いつも一生懸命支えて下さったスタッフの皆様や、お客様の『楽しかった。』という声や笑顔のおかげで、いつも楽しくここまで続けることができました。とても有り難い事です。パパ・サラを通して、少しでも音楽の素晴らしさをお伝え出来る様頑張りますので、これからもよろしくお願い致します。ところで、私自身の10年前を考えてみますと、携帯電話(当時はPHS)を持ち始めた頃で、イメージとしては携帯というより移動電話という、家にあるコードレス電話の延長線上にあるような感じのものでした。勿論カメラや絵文字入りメールなんてあるはずもなく、通話料も割高だったように思います。実は近頃携帯電話を新しいものに変えたばかり。テレビや音楽を観たり聴いたり、その他にもいろいろな事が出来るようになってますが、もっぱらメールと通話が殆どで、結局メール機能付き移動電話という使い方しかしてません。またパソコンを使い始めてだいたい10年経ちました。はじめた頃はインターネットやメールはまだで、文字通りパーソナルなものでした。当時のコンピュータはよく固まって(フリーズして)しまってましたので、その回避方法や計算処理速度を少しでもアップする方法について関連雑誌を読んだり、人から聞いてあれこれやってました。それもひとつの楽しみではありましたが、今のパソコンはそんなトラブルは殆どなく、スピードもありテキパキ動いてくれますので、ちょっとつまらなくなったような気もしますが、仕事的にはストレスなく行う事が出来ますので文句は言えませんね。
パパ・サラだより 2006年9月11日号に掲載 9月に入り夜になると暑さも和らぎ、秋の気配を感じるられるようになりました。私にとっての‘今年の夏’は、何と言っても沖縄に行けた事でしょう。フォーク・シンガーソングライターの藤本すすむさん*(東京在住)が、今年5月に発表したご自身の歌のCD「歌を歩く」を制作するにあたり、お手伝いを致しました事と、そのCDがきっかけで、初めて沖縄でライブを行うという事とで、藤本さんのサポート・ギタリストとして同行することになりました。8泊9日で久しぶりの長期遠征。着いたその日から帰る日の前日まで、休みは1日のみのハードスケジュールでした。演奏場所は概ね那覇の中心街で、いわゆるライブハウスという感じの所から、ディスコ風のお店だったり、ここでフォークをやるのは初めてというジャズクラブなど7ヶ所。いろんなところで演奏していくうちに『今日はどんな感じのお店か。』と、だんだん楽しみになってました。毎日演奏はしていたのですが、那覇のライブハウスの演奏開始時刻が平均夜の9時!と遅く、それまでたっぷりと時間があるわけです。ちなみに、沖縄の人は仕事が終わると、まず家に帰り夕ご飯をしっかり食べた後にお酒を飲みに出かけたり、ライブを見に出かける為に演奏開始時刻がこのような事になるらしい。そのたっぷりと暇な時間を利用して、まず2千円札で有名な「守礼門」の「首里城公園」をはじめ、様々なお店が所狭しとにぎやかな「国際通り」、悲しい戦争記憶「ひめゆりの塔」や「摩文仁の丘」、ちょうどアメリカの戦闘機が爆音を響かせ離陸訓練をしていた「嘉手納基地」など、多くの観光も出来たのも今回幸運でした。そして沖縄と言えば‘ちゅら海’(美しい海)でしょう!本島のビーチもきれいな海でしたが、オフの日にフェリーでちょっと足を伸ばして行った、映画「マリリンに会いたい」の島で、地元の人は『何もないけど良いよ。』と言ってた‘阿嘉島・座間味島’は、言葉にする事が出来ないほどの美しい海と、すばらしい景色でした。さらに沖縄の音楽。どこへ行っても自然とどこからか心地よい三線の音が聞こえてくる感じ。国際通りの楽器屋に入ったときなど、おもわず三線に触手が伸びましたが、結構大きな音がするので、東京のマンションへ持って帰ってもあまり弾けないと思いとどまり、しぶしぶ諦めました。三線屋の前でデモ演奏していた店主らしきおじいさん、観光で来たらしき小さな子供に‘大きにも恵まれ、素晴らしい人にも沢山会えましたし、沖縄の文化や心にも沢山触れる事ができ、心に残るものになりました。沖縄の言葉に‘なんくるないさー’というのがあります。これは困難にぶち当たっても「何とかなるさ」とか「問題ないよ」という意味で、うちなーんちゅ(沖縄の人)の前向きな精神。良い言葉ですね。また行きたいな・・・*藤本すすむさんのホームページ・・・http://www.whi.m-net.ne.jp/~fso/
パパ・サラだより 2006年4月5日号に掲載 福岡出身の私は豚骨ラーメンが好き、と同時に安くてうまい讃岐うどんも同じくらい好きなのですが、悲しい事に最近近くの讃岐うどん屋が相次いでなくなってしまいました。一時期ブームでしたが、やはり東京は蕎麦の文化ということなのでしょうか。ご存じのように讃岐うどんは四国の讃岐地方のものですが、福岡は近いということでしょうか、うどんはたいてい讃岐タイプで、時々大阪系という感じです。関東系のうどん屋もたまに開店することもありますが、大抵すぐに消えてしまいます。そのうどん、上京して味以外について気付いた事がありまして、福岡とりわけ北九州のうどん屋には、何故かおでんを置いてある店が多い事。(うどんではありませんが、全国チェーンのリンガーハットにも、おでんをおいている店舗があります。)地元にいる時は、普通にうどんついでに食べていましたが、よく考えると不思議ですね。また、うどんに白いご飯とちょっと漬け物が付いた「うどん定食」なるものもありまして、こちらも関東の方からすると不思議かもしれません。大阪での‘たこやきとご飯を一緒に食べる’というスタイルにはかないませんが・・・東京から約1,000km離れた北九州の食文化の違いというのは、興味深いところがあります。このあたりの話しの続きはまたそのうちに・・・
パパ・サラだより 2005年12月7日号に掲載 今年も早いもので残り僅か。気候もだいぶ冬らしくなり、うちの前の桜並木の桜の葉は殆ど落ちてしまいました。少し前のこと、車で出掛けた時ちょうど葉が色づき始めていました。桜が満開の春、通りの真ん中あたりを走ると桜色のトンネルのようで、とても綺麗なのですが、先日通った時も春にもまけないくらいの美しさに出逢う事が出来ました。桜の葉や桜の木の間にある銀杏の木の葉の半分くらいはまだ緑が残っていて、それぞれある木の場所や葉の位置によって微妙にばらつきがある状態でしたので、全体を見ると空の青さとあいまって、まるでジミーちゃんの絵のような極彩色豊かな絵を見ているようでした。是非絵心のある人にこの瞬間を描いてもらいたいものですが、通りはほぼ直線ですので道路の真ん中で絵を描く行為はとても危険。しかたありませんので、また来年のお楽しみといたしましょう。
パパ・サラだより 2005年10月15日号に掲載 先日ギターの部品を買いに出掛けた時のことです。‘出る音’に関しては関係のない部品でしたので、楽器屋に比べ圧倒的な品揃えでとっても安い‘日本一の電気街’秋葉原へ行きました。楽器店もいくつか有りましたので、上京して間もない頃は時々行っては、ついでにパーツ屋に寄ったりして、僕にとっては楽しいところでした。近頃は楽器もコンピューターも、そんなに手を加える必要はなくなった上に、電気製品も近くで安く買えるようになりましたので、秋葉原を回るというのは久しぶりのことでした。行ってみて驚きました。『近頃秋葉原は様変わりした。』というのは耳にしていましが、噂通り‘オタク’の街、電車男の街に変わり果てていました..._| ̄|○確かに通っていた頃からゲーム関係のお店が徐々に増えつつあって、裏通りやビルの上階に点在してはいたのですが、今や表通りにバンバン『萌え〜!』の世界。でも、やはりそこは秋葉原。名物‘秋葉原ラジオセンター’は健在でした。そこは駅に隣接していて、小さなパーツ屋さんが30以上2つの階に分かれて軒を並べている所。中には間口が2mにも満たないような小さなお店もありますが、ここへ来ればたいがいの電機部品が手に入ります。しかし時代の流れでしょう、アナログ的なパーツは鳴りをひそめ、デジタル関係の物が目に付くようになり、品揃えもちょっと偏り気味のような気がしました。これから秋葉原は何処へ行ってしまうのでしょう・・・・。
パパ・サラだより 2005年7月29日号に掲載 東京に出てきて早20年を迎えましたが、先日その20年目にして初めて東京タワーを昇りました。行こうと思えばいつでも行けると思うとなかなか行かないものですね。東京タワーが出来たのは昭和33年(まだ僕は生まれてません)で、現在は夜になるとライトアップされとても綺麗ですが、中に入ってよく見ると、館内連絡用と思われる電話機など昭和レトロな感じがそこかしこに残っています。特にエレベーター内外の装飾などは昔のSFアニメのよう。「今どき東京タワー見物に行く人はあまりいないのでは。」と思っていましたが、かなり沢山の人が昇っていて、やはり東京のランドマークとして確固たるものがあるようです。また行きたいかって?・・東京タワー名物『蝋人形館』には入らなかったので、いつかまた行こうかなぁ・・・。
パパ・サラだより 2005年1月26日号に掲載 皆様明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。正月は大分の温泉に行こうと、久しぶりに実家の福岡(小倉)に帰ったのですが、31日も元旦も朝から近年希に見る大雪で、家に居るか、午後の晴れ間を狙って近所をウロウロするしかありませんでした。ところで新幹線で東京に戻る時は‘小倉名物・かしわ飯弁当’と決めています。‘かしわ’とは鶏肉のことで、今回買ったのは「北九州駅弁当株式会社」(http://www.k-ekibento.co.jp/ekiben/kokurakashiwameshi.html)の弁当。鶏のスープで炊いたご飯の上に、柔らかい鶏の味付きほぐし身(そぼろではないのがポイント!)、切り海苔そして錦糸卵の3色が斜めに敷かれ、中央に紅ショウガ、付け合わせは鶏の唐揚げ・高野豆腐・蒲鉾・漬け物などで、見た目も美しく美味しく、その上680円という安さ!折尾駅を中心に、駅ごとに少しずつ違うかしわ飯弁当があり、どれも美味しいということですので、北九州へお越しの際は是非一度おためし(飯)を。
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