木村健太郎近況
2008.4.16.更新
パパ・サラだより
2008年1月29日号に掲載
皆さん!今年もよろしくお願いします!!私の年末年始は、5泊6日のカミさんとのふたり旅でした。クルマで走った距離は全部で1300km。福井、静岡、長野、群馬・・・と、おもに友人宅やふたりの両親宅を中心に回りました。珍しくて美味しいもの、たっぷり頂きましたよ〜!打ち立ての早刈り十割蕎麦、身体の内と外に卵をいっぱい抱いたセイコガニ(市場には出回らないらしい)、アツアツのアマゴという魚の串刺し、トロリとしたイワナの刺身・・・。そうそう、長野の七味温泉では、粉雪舞い散る雪の中の露天風呂を初めて体験しちゃいました!お陰様で最高の気分で、1年を締めくくりました。さて、新しい年。パパ・サラはもちろんのこと、ケーナ奏者のMasahikoさんとの仕事、俳優の山谷初男さんのバックバンドの仕事、ライフワークのカントゥ・フォルクローレ連酩(アンデス村祭り隊)の活動・・・とウッキウキ、ドッキドキのイベントが目白押し!またまた、刺激的な一年になりそうです!
パパ・サラだより
2007年9月27日号に掲載
今年の8月25日は、とっても暑い、いや熱〜い一日でした!東京上野にある国立科学博物館では「インカ・マヤ・アステカ展」が開催されていて大混雑!そしてなんと、その中庭にて、私が率いるアマチュア・グループ「カントゥ・フォルクローレ連酩」で演奏させていただいたのです!主催のNHKの方から出演の依頼を頂いたのが5月の末。私たちのグループが、インカ帝国の時代に演奏されていた音楽をレパートリーにしていると聞きつけて声をかけてくださいました。インカ帝国時代のままのスタイルで今でも演奏されている思われる代表的なものは「カントゥ」という形式の音楽です。今ではお祭りや結婚式などでしか演奏されませんが、かつてはアンデス各地を旅しながら呪術と薬草で病気を治す「カリャワヤ」と呼ばれた人たちの、儀式の際のバックで演奏されていた音楽だったそうです。大きなトライアングルと笛(シーク)と太鼓で13名で演奏され、高音部の音階に西洋音階には無い音を使っています。笛が平行4度(村によっては平行5度)のハモりで演奏されるので、荘厳な重々しい曲調です。アンデスの農業は、痩せた土地、厳しい自然と向かい合いながらの大変過酷なもの。農民たちは、大地の神パチャママに豊作を祈り、また実りを感謝する際に、音楽で彼らの神をもてなしました。そして、約500年前にスペインによってインカ帝国が滅ぼされ、征服者たちによってキリスト教に改宗させられようとも、彼らは密かにパチャママ信仰を守りとおしたのです。雨季の初めの種まきには雨乞いの騒がしい曲調のタルケアーダの演奏で雨雲を呼び、そろそろ乾季を迎える頃には豊作の感謝を込めてダチョウの羽根飾りの踊りを伴うスリシークを演奏する。演奏当日は、30度をかるく超える猛暑日。太陽は容赦なく照りつけます。私たちの衣装は、厚手の真っ赤なポンチョ、毛糸の耳当て付き帽子の上に白いフェルト帽をかぶり、茶色のマフラーを首に巻いた高地の寒い地方の恰好。でも、これがカントゥを演奏するときの正装。いくら暑いとはいえ省略するわけにはいきません。カントゥ3曲、タルケアーダ、スリシークの全5曲、20分のステージを4回行いましたが、休憩時間に補った水分は、ステージですべて体外へというぐらいの過酷な演奏環境でした。それでも、ステージの周りには、毎回150名を超えるたくさんのお客様。たぶんほとんどの方々が初めて聴く音楽だったと思いますが、真剣に私たちの演奏に耳を傾けてくださっていたのは感激でした!
パパ・サラだより
2007年6月1日号に掲載
ゴールデンウィークの5月3日、雲ひとつ無い真っ青に晴れ渡った空!この日、横浜の街を練り歩く「第55回ザよこはまパレード(国際仮装行列)」が行われたんです!コースは氷川丸で有名な山下公園をスタートして、赤レンガ倉庫を通り、馬車道通りを進み、青江美奈の「伊勢佐木町ブルース」で知られる伊勢佐木町商店街を抜けるまでの3.8kmのコース。それを各団体約1時間30分程かけてパレードするのです。沿道には、たくさんの人、人、人・・・・その合間を、鼓笛隊やバトントワリング、中華街の人たちの龍の舞、沖縄エイサー、よさこい、サンバ隊、企業提供の巨大フロート(車両)などがパフォーマンスを繰り広げながら、ゆっくり進んでいきます。その中に、今年初参加の「アンデス村祭り隊」がありました・・・・そうなんです!ダメもとで応募してみたら、審査に合格してしまって、参加する事になってしまったのです!さっそく、アマチュアのフォルクローレ愛好家たちに声をかけ、集まった30名でシクルアーダ隊を結成。更に、友人の在日ペルー人のカルロスさんに声をかけて、25名の踊り隊を結成して、合計55名で練り歩きました!シクリアーダ隊は、全員白い帽子に真っ赤なポンチョ姿で、サンポーニャをブイブイ吹きまくり、踊り隊は綺麗な刺繍の入ったペルー山岳地方の民族衣装で踊りまくりました!私はシクリアーダ隊の隊長で、演奏をしながら時々ホイッスルと手を使って、演奏曲目の変更やフォーメーションの指示を出してました。5月とはいえ太陽の照りつける中を分厚いポンチョ着て練り歩くのは結構大変!た〜っぷり汗をかきました!終わった後、力を合わせてやり遂げたという、充実感いっぱいのみんなの表情がとても印象的でした。打ち上げ会場での生ビールはメチャメチャ美味しかったです〜!パレードの模様は、テレビ神奈川をはじめ、首都圏のケーブルテレビで生中継され、私たちのパフォーマンスも放送されたそうです。大好きなアンデスの文化をこんな形でも、日本の多くの人々に紹介出来るんだなぁと思うと感慨無量です。
パパ・サラだより
2007年3月3日号に掲載
パパ・サラのステージで演奏されるサンポーニャという楽器。アンデス先住民の言葉ではシークといいます。シークとタイコを使って大勢で演奏するスタイルを「シクリアーダ」といって、南米のアンデス地方ではインカよりももっと古い時代から演奏されてきた伝統ある音楽形式です。サラリーマンやOLの皆さんを集めて私が主催している「カントゥ・フォルクローレ連酩」というグループ総勢16名で、先日そのシクリアーダを演奏してきました。場所は千駄ヶ谷にある明治記念館。それも、セミ・フォーマルの服装指定のディナーショー「ラテンアメリカの子供たちの為のチャリティー」。主役は、ボリビア人、アルゼンチン人、ペルー人のラテンアメリカ人混合のグループ「ロス・トレス・アミーゴス」。ゲストに歌手の布施明さん。彼らの歌と演奏を聴きながら、ディナーを楽しみ、売り上げをラテンアメリカの子供たちの為に寄付するという催し。ステージかぶり付の最前列のテーブルでは常陸宮殿下ご夫妻。その回りのテーブルには約200名のきらびやかな衣装をまとった紳士にご婦人方。そんなハイソサエティな雰囲気の中、ちょっと緊張気味に演奏してきました。メンバーお揃いの真っ赤なポンチョに白い帽子というボリビアのニーニョコリン村の正装で会場内に繰り出した時には、「お〜〜っ!!」というどよめきと、たくさんの拍車や手拍子をいただき、一同張り切って演奏することが出来ました。また、フィナーレでロス・トレス・アミーゴスや布施さんたちと「花祭り」を一緒に演奏させていただいたり、常陸宮殿下ご夫妻がご退席されて、玄関を黒塗りのクルマに向かわれる際に、吹き抜けの2階ロビーから、祭の最後を意味する「カチャルパヤ・デル・インディオ」という曲をシクリアーダで演奏しながらお見送りさせていただいたり、とっても興奮する一夜でした。 このカントゥ・フォルクローレ連酩というグループ、今年の5月3日に行われる「第55回ザよこはまパレード」という、横浜の中心街3,8kmのコースをパレードする催しへの参加が決まりました。今後が楽しみです!
パパ・サラだより
2006年12月25日号に掲載
『パパ・サラがアンデスへの入口』
10年前の春、「ちょっと手伝ってほしいバンドがあるんだ」とハッチから頼まれたのがきっかけで、パパ・サラの活動に参加しました。それまで、フォルクローレといったら「コンドルは飛んで行く」くらいしか知らなくて、ペルーもボリビアも全く未知の国。ところが今では、5回のアンデス旅行を通して、音楽だけでなく、歴史や文化など興味は幅広く広がり、フォルクローレが大好きな女性と結婚して、家ではたくさんのアンデスの楽器や衣装に囲まれて生活しています。10年前、もしバンマスが別のキーボード奏者をパパ・サラに誘っていたら・・・たぶん、私の人生は今とは全く違ったものになっていたでしょう。私がなぜここまでアンデスにのめり込んだか。自分自身で振り返ってみると、まず思い当たるのは、アンデスの曲には前向きな明るいイメージの曲が多いということ。私の性格には、ピッタリ!まぁお祭りの曲が多いので、当たり前かもしれませんね!2つ目は、「インカ」という謎めいた響きのある国が、たった500年前にその地に栄えていたということ。そしてその文化には、現代の科学でも解き明かせない技術(カミソリの刃さえも入らない巨大石組、乾期でもこんこんと湧き出る山頂の水路・・等々)が随所に見られたり、遺跡や出土した日用品に記された神や人や動物はとっても愛くるしいキャラクターたちだったりします。3つ目は、インターネットを通して、日本全国のフォルクローレの仲間たちやアンデスに住む日本人たちと知り合うことが出来たこと。いろいろ教えてもらったり、一緒にイメージを膨らませてみたり、距離は離れていても刺激しあえる仲間がたくさんいてくれたのは、ありがたかったです。ちなみにアンデス旅行のうちの3回は、インターネットで呼びかけて参加者を募り、実現しました。他にもまだ思い当たることはありますが、以上の3つが主なところだと思います。そして、フォルクローレと出会って10年目の今年、私のオリジナル曲がCDになりました。ケーナ奏者のMasahikoさんが、朗々とメロディーを奏でてくれています。CDタイトルは「アンデスの心」。ご興味のある方は、こちらをどうぞ。http://www.kenta90.com/masahiko/
パパ・サラだより
2006年9月11日号に掲載
9月18日(月・祝)に、ケーナ奏者のMasahikoさんとコンサートをやります。演奏曲は「コンドルは飛んで行く」、チャランゴ奏者のTOYO草薙さんの作品2曲、その他はすべて私のオリジナル曲&編曲なんです!アウトクトナものから、フォルクローレ調のもの、そして、ポップス、ラテン調のものなど、まぁいろいろな曲をそろえ、歌あり、コーラスあり、ステージの後ろにVJ(ビデオ・ジョッキー)の映像を映したりで、来てくださったお客さまにたっぷり楽しんで頂けるような構成になっています。そうそう、TOYO草薙さんの作品2曲は、彼の奥様(ボリビア人)のスペイン語やケチュア語の歌詞がついていたのですが、日本語の歌詞の方が親しみやすいだろうということで、初めての訳詞に挑戦!その勢いで自分の曲にも歌詞をつけてしまいました。メンバーは、Masahikoさんが学生時代から演奏を共にしてきた「ロス・アビオネス」面々。ゲストにケーナ奏者の小川隆さん、パーカッション奏者の伊藤アツ志さんを迎え総勢8名で繰り広げる予定です。JR蒲田駅前の大田区民小ホールにて。お近くの方で、お時間ありましたら、ぜひどうぞ!詳細はこちらのサイトをご覧ください。 http://www.kenta90.com/masahiko/
パパ・サラだより
2006年4月5日号に掲載
去年の8月に南米ボリビアのウユニ塩湖を訪ねた時、360度地平線の彼方まで真っ白い塩の大地に、ただただ圧倒されてしまったのですが、そんな真っ白い世界が日本にもあるというのです。それは毎年1〜3月ごろ、シベリア大陸から北海道のオホーツク海沿岸に押し寄せてくる流氷。その最盛期には、水平線の彼方まで真っ白に覆い尽くされるというのです。この流氷の上を歩いてみたくて、冬の寒〜い北海道行きを決意しました!ところが3月末頃までオホーツクの海を覆い尽くしているはずの流氷が、なんと例年よりも1ヶ月も早く海明け(流氷が完全に沿岸を遠ざかり船の航行が可能になること)してしまったとの情報。でも数ヶ月前から日程調整して、飛行機、宿、レンタカーと予約済みのため、もう後には引けません。女満別空港に降り立ったのは、3月6日。空は真っ青に晴れ、道の所々に雪が積み上げられているものの道路は乾いていて、雪深き北海道の大地を想像していた私はまたまたがっかり。それでも、網走湖に張った氷の上のアザラシくんたちの昼寝を見つけた時には、飛び上がって興奮しちゃいました!レンタカーにはナビが付いていて、行き先の電話番号を入力すれば、直ちに案内を開始してくれます。「博物館 網走監獄」「オホーツク流氷館」「北方民族博物館」を見て回りました。濤沸湖では、たくさんの白鳥たちが羽を休めていましたし、国道沿いではエゾ鹿の群、ちょっと寄り道して脇の山道に入るとキタキツネも顔を出してくれました。さすが、野生の王国北海道!流氷の季節は漁船が出られないのもあって、網走、ウトロ近辺でこの時期一番美味い海の幸といったらウニだそうで、がっぽり頬張ってきましたぁ〜!流氷の上を歩く流氷ウォーク。港の隅に置き去りになった流氷でならば出来るとのことで、渋々顔のカミさんの尻をたたいて、洋服の上からドライスーツを着せてもらって挑戦してきました!流氷のかけらと一緒にプカプカ海に浮かんだり、流氷の上でシーソーごっこしたり、結構楽しかったです。カミさんもキャッキャとはしゃいでました。雪山越えで美しい樹氷をみたり、東藻琴村に住む私の高校時代の友人に会ったり、とっても楽しい旅になりました。
●旅の詳細をインターネットで紹介しています。
http://kenta90.net/~kenta90/2006hokkaido/
パパ・サラだより
2005年12月7日号に掲載
前回に続いてボリビア・ツアーレポートの第2弾!いろいろ盛りだくさんのツアーの中でも初めて行ったウユニ塩湖は大感激でした!首都ラ・パスからチャーターしたバスに揺られて13時間。120Km×100Kmの大きさ、20億トンの膨大な塩で出来ているというこの塩湖は、太古の昔に海底がいっきに海抜3,700mまで隆起、時が経つうちにたまった海水が蒸発して出来たそうです。8月の気候は乾期のため、雲ひとつ無い真っ青な空に強烈な太陽の日差し。時折サングラスをはずしては、地平線のかなたまで360度どこを見ても真っ白な銀世界を堪能しました。この塩湖の上、道無き道をバスは全速で走ります。塩湖のちょうど中央に、まるでムーミン谷のニョロニョロの島みたいなイスラ・デル・ペスカ(魚の島)があります。このニョロニョロの正体は、実は人間の背丈の2〜3倍はある巨大なサボテン群。ごつごつした岩肌の島一面に生息しているのです。途中、バスが塩のぬかるみにはまってしまって立ち往生。はじめは旅にトラブルはつきもの、何度か挑戦すれば脱出できるだろうと軽く考えていましたが、そうは甘くなかったのです!全員で頭をひねっての脱出作戦は失敗につぐ失敗。そのうちに日がとっぷり暮れて、気温がどんどん下がっていく。容赦なく吹き付ける冷たい強風。このままでは、あわや遭難か!!結局、遠くに見える村の灯りをたよりに、こぼれ落ちそうなほどの星の瞬きを見上げながら 、とぼとぼと塩の上を歩いて救助を頼みに行きました。1962年製のトヨタのボンネット型のトラックにいろいろ積んでさっそうと駆けつけた村の青年は、慣れた手つきでバスをジャッキであげ車輪の下に丸太や長い板をはさみ、ものの30分ほどで私達のバスをぬかるみから救い出してくれました。地球の裏側で、まさか自分の生まれた頃に製造された日本製のトラックに助けられるとは思いませんでした。この一件で、その後のツアーの予定が大きく狂ってしまいましたが、今となっては忘れられない貴重な思い出です。このツアーの思い出をホームページで紹介しています。ご興味ある方はぜひ覗いてみてください。
http://www.kenta90.com/05tour.html
パパ・サラだより
2005年10月15日号に掲載
8月22日から16日間、5回目のアンデス旅行に行ってきました。今回はうちのカミさんの要望を受けて、チチカカ湖に浮かぶ太陽の島、ウユニ塩湖、ティワナク遺跡などの観光地をコースに入れました。インターネットで参加者を募ったら、アッという間に5名の応募で、即日締め切り。私たち夫婦を入れて7名でのツアーで行ってきました。もちろん田舎の農村も訪ねていって、インカ帝国の頃から農民たちのあいだで脈々と演奏されてきたアウトクトナと呼ばれる素朴な音楽もたくさん聴いてきました。こういう村々でご馳走になる料理やお酒は、素朴な味付けでありながら、実に美味しいです。今回の旅行で一番美味しかったのは、イタラケという地域にあるワヤンカ村の昼食でいただいた羊の肉とその煮汁で作った麦の雑炊。羊の肉が腐る間際に調理するのがコツだそうで、羊特有の臭みが全くないのには驚きました。お酒は、チチャをいただきました。発芽したトウモロコシを乾燥させて、粉にして水につけて発酵させたもので、度数は低いのでドンドンいけちゃいます。味は・・・ちょっぴり酸味があって、レモンサワーみたいな感じでしょうか。もちろん観光地と言われているところにだって感動はあります。乾期のチチカカ湖の何とも言えない深い「青」の色はホント素晴らしいですし、地平線の彼方まで塩で真っ白のウユニ塩湖の大自然は壮大です。今回の旅行記をホームページで公開しています。まだ、制作途中ですが、興味のある方は、ぜひ覗いてみてください。
http://www.kenta90.com/05tour.html
パパ・サラだより
2005年7月29日号に掲載
最近の我が家のニュースといったら、小さな庭なんですけれど野菜を育て始めたことです。ホームセンターで気に入った野菜の苗を買ってきて植えました。がっぽりの野菜を収穫を想像しては、ウキウキ、ドキドキで始めましたが、はっきりいって野菜についての全くの知識のないど素人の私。とにかく、失敗続き!狭いスペースにあれこれ欲張ってしまったために数週間後には、それぞれが大きく成長してしまって、ぎゅうぎゅう詰めの満員御礼状態。1株だけ植えてみたレタスは、ブロッコリーの葉っぱの影になっていまい畑の肥やしに、キャベツはうまく球状になってくれたのですが、食べるのを楽しみにしていたのは私だけでなく何かの幼虫。私の分までとっておいてくれる様子がないので、くれてやりました。それでも真っ先に食べられる大きさに育ってくれたのがブロッコリー。穫りたてを茹でてマヨネーズで食べました!その後も、トマト、ナス、キュウリと収穫しました。まだ数は少ないですが立派なのがが獲れましたよ〜!
パパ・サラだより
2005年1月26日号に掲載
明けましておめでとうございます!明けて早々、当ててしまいました・・・実は、パパ・サラ初仕事の日、ステージもバッチリ盛り上がって、楽器や機材の片付けも終わり、さあ帰ろうというときに、私の不注意で搬入口の扉をハッチの新車のバックドアのヘリに当ててしまったのですぅ〜。傷口は1センチぐらいで小さかったのですが、深さがあり、放っておいたら、そこからサビが進んで傷口が拡がってしまいそうな感じ・・・申し訳ない気持ちいっぱいで修理は全額負担するからと約束して、その日は解散しました。後日、ハッチから「ビックリしたぁ〜!」とメールをもらいました。修理の見積もりを出してもらったら、なんと!6万円もかかるというのです。傷口の大きさから見たら余りの高額!要するに塗装は後から全く同じ色には塗れないので、ドアの半分ほどの広範囲をぼかしながら塗って境目をわからなくする技術料が高額なのだそうです。不注意とはいえ、仕方ないです。気の済むように修理してくださいと返事しました。私の友人で保険屋がいまして、以前、クルマが故障した時のことを話したら「え〜!何でその時ひと言相談してくれなかったの!」と怒られちゃったことがありました。何でも、故障したクルマの運搬は私が入っていた保険で保証されていたとのこと。そんなことを思い出して、今回のこともダメ元で相談してみました。そしたら!です。自動車の保険は使えないけれど、「個人賠償責任保険」というのがあって、火災保険とかクレジットカードとかに付いていて知らない間に加入していることがあるので調べてみたら、とアドバイスしてくれました。実際、調べてみたら・・・入っていたんです!!月々70円の掛け金で1,000万円までの保証(免責1,000円)。他人のモノを壊してしまった時の修理代や弁償代、傷つけてしまった時の治療費などを保証してくれるのだそうです。当分はおこづかい0円で、楽器もCDも美味しいものもぜ〜んぶ、ぜ〜んぶ我慢しなくちゃと、あきらめかけていたところに、天の助けって感じでした。
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