木村健太郎近況!

    パパ・サラ・クラブの会員に郵送しているパパ・サラ便りに掲載されたものです。

   

2018.5.20.更新

   


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パパ・サラだより第57号2017年8月5日号に掲載山梨の山奥に小屋を借りて、東京の自宅と行ったり来たりの山暮らしを始めて9年になるが、当初から楽しんできた事の一つに畑がある。大小様々な石の混ざる山特有の土地ゆえ、それらをできるだけ取り除き、山から大量の落ち葉をかき集め、米ぬかや発酵鶏糞を混ぜて堆肥を作り、半畳から2畳ほどの広さずつ毎年畑を拡張していった。農薬は、もちろん一切使わない。作物についた虫は見つけ次第即排除、ちょっとでも病気の気配が出た葉は即むしり取るで徹底抗戦、雑草対策にはマルチを張るが、それでも出てくるのは根元からちょん切る。ホームセンターでいろいろな苗を買い求め育ててきたが、去年からそれをやめて種から育てることを始めた。そうすると、思い通りにならないことが多々あって、いろいろなことが見えてくる。標高550m、昼間と朝晩の気温差、山あいの日照時間、地中の温度…等々。小さな苗のうちは、山の直射日光や気温変化についていけず枯れてしまったり、ナスやピーマンなどの夏野菜は地中の温度が低いうちはなかなか根を張れず大きくなれない。最近は品種改良がすすみ、種も多様化してきた様だ。大きさや形の揃った作物が短い期間にどっさり収穫できる一代限りの種で、一代限りだから毎年購入しなければならない「F1種」と呼ばれるものが幅をきかせているのだ。私は、収穫期間が長くて、採った種で翌年も同じように収穫できて、年を重ねるごとにその土地に順応していく「固定種」にこだわって育てている。昨日、大きく育てて黄色く熟したキュウリから種を採った。この小さな薄っぺらなのが、大きく育って実らせてる姿をイメージするともうドッキドキである。
パパ・サラだより第56号2017年1月25日号に掲載山梨県の山奥で借りている山小屋から900m離れたお隣りさん、川魚や山菜の料理屋なのだが、その店の主人が熱っぽく語った話。「30年ぐらい前まではここらあたりホタルがたくさん飛んでいた。だけど川の護岸工事や砂防ダム建設のコンクリートから出るアクにやられてしまって年ごとにだんだん少なくなり、ついには3年前に1匹飛んでいるのを見かけたのが最後になってしまった。川の上流で行われていたリニア実験線の工事も完了して2年が経ち、アクが出なくなった今こそ再びホタルの飛ぶ川に戻してあげたい。」 かつて私がピアノを弾いていたお店の常連客だった方があきる野市の山村に住んでいて、そこの地域の絶滅寸前のホタルを完全復活させたことをたまたま知り、それならばと去年の9月に話を伺いに自宅を訪ねた。そしてその後、わざわざ山小屋まで足を運んでいただき、川の状態やあちこちから湧き出ている沢の様子など視察、今でもホタルが育つ環境が保たれていることを確かめてもらった。 今、山小屋の水槽の中で「カワニナ」が次々子を産みすくすくと育っている。カワニナというのは3cmぐらいの黒っぽくて細長い巻貝で、ホタルの幼虫はこの貝しか食べないらしい。生まれたばかりのは0.5mmほどで、飼育を始めた当初は水槽のガラスにへばり付いているゴミみたいのが、まさか赤ちゃんだとは思わなかった。餌はキャベツや白菜などの野菜クズ、金魚の餌など。食欲旺盛で、水槽のガラスに付いた苔をモグモグ食べてる様は、なかなか愛嬌があってかわいらしい。 今年はまだちょっと難しいと思うけれど、早ければ来年の夏、でなければ再来年の夏、ぼんやりと暗闇に浮かぶたくさんの光を見ることが出来るかもしれない… そんな気の長い夢をみるのもいいもんだなぁと思う今日この頃である。
パパ・サラだより第55号2016年9月18日号に掲載山梨県の山奥に一軒家を借りて8年、すぐ横を流れる川で釣った魚を燻製にしたいという長年の夢が、なんと今年、叶ったのだ!  夢を叶えたいのならあちこちでいろいろな人に喋りまくるべきである。年配の知り合いが、もう体力的に無理なので、釣りの道具を一式あげるよと声をかけくれたのだ。おまけに仕掛けの作り方や釣り方のコツをご教授くださるとのこと。願ってもない申し出に、即とびついたのはいうまでもない。  かくして自分では絶対買えないような高価な竿と基本的な釣りの知識を手に入れた私は、この夏生まれて初めての渓流釣りに挑戦!家の目の前がすぐ糸を垂らせる環境なので、夕方の2時間のみと時間を区切っての太公望。今まで釣り上げた中で大きいのはヤマメ21cm、イワナ19cmの共に2年もの。  ただ当初の思惑と外れたのは、燻製して食べるより、炭火で塩焼きした方が美味しいということ。もちろん燻製も美味しいのだが、20cm前後の大きさでは、燻して乾燥させるため身が縮まり、食べられるところはちょこっとになってしまう。10月から禁漁期間に入ってしまうため、残りの数週間、燻製向きの30cmの大物を求めて頑張ってみようと思う。
パパ・サラだより第54号2016年6月18日号に掲載20年前、もしバンマスのハッチから「バンド手伝ってくれない?」と声をかけてもらわなかったら……フォルクローレという音楽にこんなにも熱中することはなかっただろうし、インカ帝国に魅せられることもなかっただろうし、地球の裏側の南米大陸を5回も旅することはなかっただろうし、アンデスを題材に石版画制作をしていたカミさんと出会うこともなかったろうし、家の中を民族衣装や民族楽器でいっぱいにすることもなかっただろうし、毎年代々木公園の野外ステージで「アンデス村祭りコンサート」を主催することもなかっただろうし、人を集めて「アンデス村祭り隊」を結成して横浜の街中をパレードすることもなかっただろうし、アンデスの人々のような自然の中の素朴な暮らしに憧れることはなかっただろうし、山梨県の山奥に一軒家を借りることもなかっただろうし、そうなればピザ窯をつくることもなかっただろうし、陶芸窯を作ることもなかっただろうし、畑や燻製に熱中することもなかっただろう。  もしパパ・サラのに参加していなかったら、私自身の価値観も日々の生活も、今とは全く違うものになっていただろうなぁ、と思う今日この頃。
パパ・サラだより第53号2015年12月17日号に掲載私が自己流でやっている趣味の陶芸のお話。  先日、今年7回目、通算で26回目の窯焚きをしました。素焼き無しの本焼き一本勝負。灯油バーナーで約16時間ほどかけて窯内を1,250℃までゆっくり上げていき、火を落として1日半ほど冷ましてから窯を開け、焼きあがった器を取り出します。ところが、今回は仕事の都合で窯が冷めるまで待つことができず、焼き上がりを確かめたい気持ちをぐっと抑えつつ、後ろ髪を引かれる思いで帰京しました。  山梨県上野原市の山奥の借家の庭に、陶芸窯を自作してちょうど3年。始めた当初は、乾燥や釉薬をかける際にヒビ割れてしまったり、なかなか窯内の温度を上げられなかったりのトラブル続きでしたが、何度も繰り返して試行錯誤しているうちに、最近では少しずつですが気に入ったものが出来るようになってきました。  作っているのは私自身が生活の中で使いたいもの。今のところ主に食器です。まだまだ未熟なため、なかなかイメージ通りには焼きあがりませんが、色も形も大きさもすべて私仕様。自分の手による器でお酒を飲んだり食事するのは、何ともいえない贅沢な至福の時であります。  最近思うのは、歪(いびつ)の中にも魅力的に感じるものとそうでないものがあるということ。ひとつひとつ時間をかけて手びねりで歪感を出していくのですが、乾燥や焼く工程で器全体が1割ほど小さくなり、更に微妙に歪むので出来上がりは陶芸の神様の気まぐれ次第。あ〜早く窯を開けた〜い!
パパ・サラだより第52号2015年7月1日号に掲載今年の正月から始めた花粉症対策の「朝食抜き1日2食の健康法」。残念ながらアレルギーには効かなかったのですが、体重7キロ減という思わぬダイエット効果に今も続けています。 私のダイエット人生振り帰ってみると、いちばん重たかったのが9年前。なんと110キロありました。当初水泳やウォーキングでダイエットを試みるも長続きしなかったのですが、7年前に試したレコーディングダイエットが効いて、半年で体重激減!ただ後半は精神的に非常に辛くなり、86キロまで落ちたところで泣く泣くリタイアしました。 その後も体重が増えてくる度に「朝バナナ」「酢の物」「脂肪燃焼スープ」といろいろ挑戦しましたが、効き目があるのは始めの1ヶ月ぐらいなんですね。それでも90キロ台半ばの体重を維持しながら出会ったのが、今回の「朝食抜き1日2食の健康法」。今現在の体重は7年前辛くてリタイアした時と同じ86キロなんです。先日たまたま20歳の頃作ったスーツを着てみたら、なんとサイズがぴったり!この2ヶ月ぐらいは増えもせず、減りもせずなのですが、今はこの体重を維持していけばいいかなって思っています。
パパ・サラだより第51号2015年2月6日号に掲載私は花粉症。この症状へ名前が付けられ世間に認知されたのは私が二十歳の頃。子供の頃から毎年春の学校検診で路傍性結膜炎&慢性鼻炎と診断されていて、だけど春の終わりかけには何故かいつの間にかむず痒さや鼻づまりから解放されていた。  原因がスギの花粉だとわかった時は、自分はアレルギー体質なんだ?とちょっと不思議な気持ちがしたのを覚えているが、特に20〜30歳代は市販の花粉症の薬を飲んでも全然効かず目も鼻も酷い症状だった。40歳代になって巷でメタボが叫ばれ始め、恐れをなして医者通いを始めた頃は、その季節が巡ってくると喘息の薬をもらい、これが結構よく効いた。医者通いをやめたこの数年は、同じ効果の薬をネット購入している。  これが今までの私の花粉症の簡単な歴史だが、今年の正月、インターネットの閲覧中に実に興味深いサイトを見つけた。それによると花粉症の原因は、消化しきれなかった動物性たんぱく質が、活性酸素などで傷ついた腸の内壁から吸収されてしまうために、その拒絶反応がスギ花粉にも出てしまう、ということらしい。でその解決法として、極力動物性たんぱく質を食べないようにする。それから、傷ついた腸の内壁が治癒しやすいように、腸の中を何も通過しない時間を毎日18時間もうけなさい、というもの。  もしかしてこれを実行して花粉症が治ったら、この季節1万円以上かかっている薬代が浮くことになる…しかも花粉症の苦しさから完全に解放される!これは凄い!というわけで、朝食を抜いて昼食と夕食の1日2食に挑戦してみることにした。ただし、仕事の都合や人付き合いなどで、実行が難しい時には3食OKとゆるい気持ちで臨むことにする。今までの経験から、食にストイックになると心が折れた時の反動が大きいからである。  日本人は農耕民族で動物性タンパク質を消化するのが苦手な上に、狩猟民族の西洋人より腸が長く体に取り込みやすいときている。動物性タンパク質は極力量を抑え、あとは植物性タンパク質で摂ることにしよう。幸いに私は、豆腐も納豆も大好き!それに油揚げにお麩とバラエティーに富んでいるではないか!  先日のパパ・サラ新年会でこの話をしたら、ハッチから国立に台湾の精進料理屋があることを教わり、さっそくカミさんといってみた。台湾では「素食」といって肉や魚、卵を使わない料理屋さんがたくさんあって人気があると、その店の人が教えてくれた。大豆たんぱくから作るヒレカツや鶏の唐揚げ、湯葉からつくるタラやサバの唐揚げ等々、見た目や食感が工夫されていてなかなかのものである。  まもなく迎える花粉症の季節。この結果は次号のこの欄でお伝えします。 ※興味ある方は、インターネットで「1日2食健康法」で検索するとヒットします。
パパ・サラだより第50号 2014年8月5日号に掲載 マレーシアに住む友人が一家そろって一時帰国する事になったのだが、そ の際、是非私の焼いたピザを食べたいなどと嬉しい事を言ってくれてる。とこ ろが、このところ暇さえあれば陶芸にばかりにうつつをぬかし、友人たちを 招いてのピザパーティーも、ほぼここ1年近くご無沙汰であった。てなことも あり、先日練習がてら久しぶりにピールを握った。ピールというのは、ピザを石窯の中に投入する時や、焼け具合が均等にな る様に石窯の中のピザを回転させて向きを変えるのに使用する、先に平たい 金属の板のついた棒のこと。投入用の四角い板のついたのと、回転用の丸い 板のついたのの2種類あり、これを揃えるといっぱしのピザ職人になった気 分になれる。 で、肝心のピザを焼く窯は、3年前の秋に、齢50にして生まれて初めてコ ンクリートを捏ね、耐火レンガを積んで作った自作のもの。初めての体験の連 続で職人技のような仕事は出来るわけがなく、あちこちが個性的な造りに なっているが、ピザを焼くには支障はない。1時間ほど薪を燃やす。煤で真っ 黒になっていた窯の奥の壁が白くなってくると、煤が燃えだす400°Cを越えて きた合図。最終的に窯内を500°Cぐらいまで上げる。 家庭用の普通のオーブンは300°Cまでしか上げられない仕掛けになっている ので7~8分かけて焼く事になるが、石窯では450~500°Cで1分半~2分ほ どで焼く。ここが美味しさのポイント「その1」。ピザの美味しさのポイント「その2」は何と言っても生地にあると思ってい る。上に乗せる具は、買ったり家庭菜園で収穫したものをそのまま使うの で、何をどのような組合わせで乗せるかのアイディア勝負でしかないからだ。 で、このピザ生地、いくつか種類があるのをご存知だろうか。肉厚で耳ま でモチモチのナポリ風、薄くのばしたカリカリのローマ風、宅配ピザでお馴 染みのアメリカ風...などなど。私のお薦めはなんといってもローマ風だ! 食感もさることながら、生地が軽いのでいろいろな種類をたくさん楽しめ て、ピザパーティーにはもってこい。 始め生地を小麦粉と塩と水だけで作っていた頃は、強力粉と薄力粉の配分 に力点を置いていたが、そのうちイーストを入れたり、砂糖をいれたり、更に はオリーブオイルをいれたり、回を重ねるたびにバージョンアップをしている。 で、久しぶりに焼いたピザは。。。ばっちり、いい感じに美味しく焼き上 がりましたよ!
パパ・サラだより第49号2014年2月20日号に掲載 先日、生まれて2回目の歌舞伎を観て来た。長野在住の私の両親(82歳&79歳)が、我が家に下宿している大学生の甥っ子に是非とも歌舞伎を観せたいと上京してきたのだ。かくして、付き添いの役目を仰せつかった私とカミさんも、お相伴させていただく事に!場所は、去年建て直したばかりの歌舞伎座。演目は、「忠臣蔵九段目」、江戸のお正月「乗合船」、井上ひさしの新作歌舞伎「東慶寺花だより」の3本立て。やはり初心者にはイヤホンガイドは必携品。会場で有料で借りるのだが、芝居の進行に合わせて、台詞の合間に解説を入れてくれる。新作歌舞伎は、言葉もわかりやすくまるで現代劇なのだが、よくよく考えれば舞台の上には「男」しかいないわけで、女形の「女」にびっくり!私が初めて歌舞伎を見たのは20歳の時で、やはり父に連れて行ってもらったのだが、その頃はまだ何も知らなくてつかみどころがなかった。甥っ子は「忠臣蔵」と聞いても???だったようだが、半世紀も日本人やっていれば、その大まかなストーリーと登場人物ぐらいはすぐ頭に浮かぶ。幸四郎、吉右衛門、染五郎に橋之助…テレビドラマなどでよく見かける馴染みの役者さんが何人も出演していて、やはり本職の凄さ!顔の表情や身体の動き、声の響きなど、それぞれの見せ場では胸が高まった。また機会があったら観に来たいねってカミさんと話したが、30分2回の休憩を挟んだ4時間半の公演は、かなりの集中力を要して疲れた。1作品だけ観覧できる「一幕見(ひとまくみ)席」があるそうなので、今度は観たい演目に狙いをつけて挑戦してみようと思っている。ちなみに一幕見席は、全席自由席&立ち見で、料金は作品によって異なるが2,000円ぐらいだそうだ。
パパ・サラだより第48号2013年11月27日号に掲載 5年前、親しい友人から山梨県の山の中の1軒屋を借りることになり、東京との二重生活で憧れの山暮らしをスタートさせたのだが、程なくして周辺でリニアモーターカーの路線工事が始まった。それが何と借りた家のすぐ裏に、工事用の大型ダンプや重機が通れる巨大な鉄橋を掛けるという。始めは面食らったが、すぐ横を流れる川の音にかき消されて気になるほどでもなく、薪にするならどうぞと伐採した丸太を大量にくれたりするものだから、私としても工事の人たちに対しては協力的な態度で接してきた。今年の8月、家から山奥に向かって見上げた直線距離で200mぐらいのところに、立派な高架橋が完成した。コンクリートのフードで覆われているので実際にリニアが走っている姿を見ることは出来ないが、騒音がほとんど無いのはこのフードのお陰らしい。今は裏の鉄橋もきれいに撤去され、伐採したあとの山肌に植林したり、重たい工事車両の通行で荒れた道路を整備したりの作業が続いている。が、それも年内いっぱいだそうだ。これまで多くの工事関係者が出入りして騒がしかったけれど、数ヶ月後には人気の無い静かな山になる。お隣さんとは約900m離れているし、周りには街灯が無いので、月明かりの無い晩はまさに闇夜の世界。もしかして寂しすぎて人恋しくなってしまったらどうしようかと、これから始まる本格的な山暮らしを前にちょっとドッキドキだ。
パパ・サラだより第47号2013年7月2日号に掲載 私の主催する「アンデス村祭り隊」と「カントゥ・フォルクローレ連酩」、どちらもアンデス好きな会社員、主婦、学生の皆さんがメンバーです。5月3日に行われた「第61回ザよこはまパレード」にて、山下公園前から伊勢佐木町6丁目交差点までの3.4kmを、「アンデス村祭り隊」総勢45名で演奏しながら練り歩いてきました。今回演奏したのは、インカの呪術師カリャワヤ(2003年にユネスコ無形文化遺産に登録)たちが病気や怪我の治療を施す際に演奏されていたといわれている音楽「カントゥ」。今でも結婚式やお祭りなどで演奏されている神聖な音楽です。6度目の参加とあって、幾人もの沿道の観客から「アンデス〜!」と声をかけていただき嬉しかったです。6月9日には、代々木公園野外ステージで「第5回アンデス村祭りコンサート」を開催しました。雨天決行、入場無料のコンサートで、4つのグループが出演。今年の目玉はペルー人のイルマ・オスノさんで、ご自身の故郷アヤクーチョ県の歌や踊りを披露してくださいました。我々カントゥ・フォルクローレ連酩は、ボリビアの土着音楽を中心に、ダチョウの羽飾りで踊り演奏するスリシーク、雨期に作物の豊穣を祈るモセーニョなど6曲を演奏しました。回を重ねるごとにお客様も増え、今後が楽しみです。前号でお話した自作の陶芸窯。あれから、せっせと粘土をこねて器などを作っては焼いています。いろいろ改良を重ねて何とか窯の温度を1200℃以上に上げることが出来ましたし、しっかり焼き締まったものが出来始めています。ただ納得のいくものとなると、なかなか難しいです。念願の直径40cmのピザ用の大皿も、もう5回、6回と挑戦していますが、乾燥させている時や、釉薬をかけた際にひび割れてしまったり、焼いている窯の中で木っ端微塵になってしまったりで、未だに一つも成功していません。まぁ、気長にゆっくり楽しみながら極めていこうと思っています。
パパ・サラだより第46号2013年3月12日号に掲載 木村健太郎 じゃ〜ん!去年の11月に陶芸窯を作りました!一昨年のピザ窯に続いて第2弾の自作の窯です。実は、陶芸家の友人たちの素敵な作品を展覧会で見る度に、いつか自分でもやってみたいなぁと思っていたのですが、陶芸窯は小さくても平気で百万円とかしてしまうので、なかなか手を出せずにおりました。そんな中、ピザパーティーに集まってくれた陶芸家の友人が、私の作ったピザ窯を覗き込んで「“行って来い窯”の構造になっているんですね!」と一言。“行って来い窯”とは陶芸窯の種類の1つなのですが、この言葉に私は興奮しました!だって高額でおいそれと買えないのなら、作っちゃえばいいんだって気がついたのですもの!それから陶芸窯の勉強を始めました。インターネットで検索すれば、たいていの情報は無料で手に入るのでとても便利です。どうしてもわからない所は、まわりの陶芸家たちに教えを請いました。ピザ窯はせいぜい500℃ぐらいまでですが、陶芸窯は本焼きの1280℃に耐えられなければなりません。また燃料は、ピザ窯は薪でしたが、陶芸窯ではとても量を賄いきれないので、もっと手に入れやすく安価な灯油にすることにしました。陶芸窯の製作に心がけたのは、とにかくお金をかけないこと。耐火レンガは中国製を大量に仕入れました。日本ではもっと性能の良い高価なレンガが主流ですが、中国では陶芸窯の材料として普通に使われている物です。芸用の灯油バーナーは安いものでも十数万円はしますので、中古灯油ボイラーから取り外したバーナーで代用しようとネットオークションで数千円で落札しました。というわけで、市販の窯の10分の1以下の値段で完成!何度か試しに焚いてみて、今は色々工夫してバーナーの性能を高めています。先日の試し焚きでは、バーナーの空気量と灯油量を調節出来る様に改造して700℃まで上げることに成功。さらにバーナーの熱量を高めるため、霧状に灯油が吹き出すノズル部分の改造を試みてます。とりあえずは焼きたてのピザをのせるお皿の完成を夢見て、ゆっくり楽しみながら…と思ってます。
パパ・サラだより第45号2012年11月10日号に掲載 このパパ・サラだよりの紙面や、最近ではライブなどでもお話ししているピザ窯。モルタルを練ったり、レンガやブロックを積み上げたり、初体験づくめの中完成してちょうど1年。友人知人に声をかけて、これまで8回のピザパーティーを開催してきました。これだけ続けられたのも開催するたびに「美味しい!」と言ってくださる参加者の皆さんのお陰でありまして、『ブタもおだてりゃ何とか…』で終わってしばらく経つと、またまた木に登りたくなる気持ちがフツフツと沸いてきてしまうのですよ。がははは!で、ピザの内容の方も回を重ねる度にバージョンアップしておりまして、たとえばピザ生地。強力粉のみだと、弾力がありすぎてピザ状に薄く伸ばしたそばから縮んでしまうので、薄力粉を混ぜるのですが、多すぎると今度は弾力がなさすぎてすぐ穴が開いてしまいます。いろいろ配合を変えて、たどり着いた黄金比は強力粉:薄力粉=7:3。生地が薄くてサクサクしたローマ風のピザの形成は、この配合がベストのようです。形成がしやすいと、次々に焼く事ができます。先日、世界の500店以上のピザを食べ歩いたというパッパパスタ三鷹店の店長とピザ談議に花を咲かせていたら「イーストは入れていますか?」との意外な質問。そして「ピザ生地のキメ手は熟成時間と温度ですよ」という。パン生地みたいなフカフカな生地にするわけではないので、イースト菌は入れなくてもいいのでは…と、半信半疑のまま先日のパーティーの際に試してみました。あ〜らビックリ!なんと、今までよりも更にサクサクで軽い生地に焼きあがりました。たかがピザ生地、されどピザ生地、奥が深いです!お話しばかりでは申しわけないので、いつも応援してくださっているパパ・サラ クラブのメンバーの方限定でピザパーティーに御招待しようと思います。パパ・サラの他のメンバーにも声をかけて盛り上がれたら楽しいですね!ただ、私の仕事や準備の都合、寒い時期は焼き上がったそばから冷めてしまうことを考えて、時期や曜日を以下の様に限定させてください。(以下略)
パパ・サラだより第44号2012年6月25日号に掲載 今、ちょっとパン作りにハマってしまっている。小麦粉をこねて焼くことが楽しくて仕方ないのだ。いろいろな要素が絡み合った結果が焼き上がったものに大きく関係してくるので、これがなかなか奥が深い。小麦粉の専門店などにいくと、多くの女性に交じって、鋭い視線で粉を見入ってる男性をよく見かける。プロの職人さんはこういう店には来ないはずだから、パン作り男子の人口は結構多そうだ。もともとは、去年の秋に自家製の石窯を製作したところから始まった。400℃以上の温度でピザを焼いた余熱(200℃前後)で焼けるとのことで、仲間を呼んでのピザパーティーの度にパン作りに挑戦してきた。ところが、薄くてパリパリの生地で思いのほか好評のピザに対して、堅くてアゴが疲れると不評のパン達。小麦粉と塩と水の配合に注意してしっかりこねれば、あとは400℃の赤外線が1分ほどで美味しく焼き上げてくれるピザに対して、パン作りはもっとデリケートで出来上がりも多彩だ。ミックスナッツパン、ぶどうパン、コーンパン、チーズパン、ソーセージパン、明太子パン・・・等々、今までにいろいろなパンに挑戦、まぁそれなりに出来たものもあれば、食べきるのに苦労したものもあった。そんな中で比較的好評なのがベーコン・エピ。「エピ」とは麦の穂のことだそうで、なるほど先の尖った滴型が左右に交互に傾きながら連なった様がそのように連想させる。よくパン屋の店先で見かけるが、チェックするとベーコンはたいてい1枚しか使っていない。ぐふふ、私のは2枚たっぷり使っているのだ。焼いた際にベーコンから出る肉汁が表面カリッと中しっとりのパン生地に染み込んで・・・食べ過ぎに注意である。3斤の食パン1本3,300円。先日テレビで、東京・世田谷区の工房で作られているのを放送していた。この高価な食パンが飛ぶ様に売れて、数ヶ月先まで予約でいっぱいなのだそうだ。普通食パンをつくる場合、砂糖、バター、牛乳などを使用して甘味や風味をだすのだが、この高価なパンは小麦粉、イースト、塩、水のみの材料で、通常より低温で時間をたっぷりかけイーストが醗酵する際に出す甘味と小麦の風味のみで美味しさを出しているそうだ。この番組を見てふと思い出したのが、何度かアンデスを旅行した際にホテルで食べた朝食のパンがいつも美味しかったこと。アンデスの国々の生活水準から考えれば、高価な材料を使っているはずはないのに、風味がとても心地よく、ジャムもバターも何もつけずに頂いていた。醗酵時間はかかるかもしれないが、余計なものを入れずに、最低限の材料で小麦の風味を引き出す様に作ると、心から美味しいと感じる本来のパンの味を楽しめるのではないだろうか。こうなると実際に試してみたくなるのが性分で、今はまだ頭の中でイメージを膨らませているところ。ふわふわのパンを作るにはイースト菌が充分に醗酵して、パン生地の中に二酸化炭素の気泡をたくさん作ってもらわなければならない。ところが砂糖、バター、牛乳を入れないとすると、醗酵するためのイースト菌の餌は小麦粉の中に含まれるグルテンのみだ。となるとグルテンをたっぷり含んだ小麦粉の銘柄を選ばなければならないし、手軽ではあるが臭みのあるドライイーストを使ってはせっかくの小麦の風味を台無しにしてしまう。塩はミネラルを含んだまろやかな味のものが良いだろうし、水道水に含まれる塩素は無い方が良い。とまぁこだわればキリがないが、もし自信のパンが焼けた際にはまた報告させていただきま〜す!
パパ・サラだより第43号2012年3月17日号に掲載 前号でお話しましたピザ窯製作。その後、ほどなく無事に完成。窯の容姿は手作り感満載ですが、ちゃんとピザ焼けました!どうせならば本格的にと、吉祥寺のチーズ専門店で、ゴルゴンゾーラ(イタリア)、グリュイエール(スイス)、ゴーダ(オランダ)、モッツァレラ(イタリア)などの輸入チーズを入手。生地は、前の晩に小麦粉をこねて玉状にして寝かせます。電気やガスのオーブンでは300℃くらいまでしか上がりませんが、レンガを積みあげて作った窯は500℃まで上げても大丈夫。窯の内壁についた黒い煤が消え、白くなってきたら400℃を越えた合図。生地をのばし、具やチーズを乗せて、窯中に投入すると、ものの1〜2分程でパリパリの薄生地の熱々のピザが焼き上がります。ピザを投入したり、焼き具合を均等にするために窯の中のピザを回転させるピールという専門の道具を手に、格好はいっぱしのピザ焼き職人であります。今まで友人を招いて4回程ピザパーティーをやりましたが、なかなか好評です。お腹壊した人もいないようですし(笑)。皆さん、是非食べにきてください。
パパ・サラだより第42号2011年11月2日号に掲載 以前オーブンを買おうかという話になり、家電量販店に出かけた時のことでした。どれも値段や大きさの割に焼くスペースがちっちゃくって、私が思い描いていたピザは手のひらサイズのしか出来そうにありません。この時私はこう叫んでました。「いつかでっかいピザが焼けるような石窯を作ろう!」。  この時は冗談半分、でももう半分は作れたら楽しいだろうなぁって気持ちでした。だけど、そんな事を誰ともなくに話していたら、今年の6月にある友人から、溶接して作った手作りの窯の鉄扉の突然のプレゼント!別の友人は、ピザ窯作るんだったら道具はあるし手伝うよ!という具合に、トントン拍子にピザ窯作りが現実のものに。  10月6日、場所は山梨県上野原市の山奥の工房。セメントをこねたことも、レンガを積んだこともない私のピザ窯作りが始まりました。薪を燃やす「火室」と「焼き室」の2段式の窯で、耐火レンガと耐火コンクリートでアーチ状に組み、保温性を上げる為にまわりを赤レンガで包む計画。ものづくり名人の友人のアドバイスを受けながら、少しずつ作業は進み、この文章を書いている今現在は、ほぼ9割方出来上がった感じです。ここまでの出来映えとしては「手作り感満載の石窯」って言えば聞こえが良いですが、美しいレンガの配列には程遠く、職人さん達の技術の凄さを改めて感じます。  そんなこんなでなんとか完成までもう一息。おいしいピザを頬張る日を夢見て頑張ろうと思います。
パパ・サラだより第41号2011年6月16日号に掲載 アンデス土着音楽の愛好家たちを集めて結成した「カントゥ・フォルクローレ連酩」の活動が、今年で11年目を迎えました。「カントゥ」とは、アンデス土着音楽の音楽形式名のひとつ。「フォルクローレ」は民族音楽のことですね。「連酩」は「れんめい」と読みまして、お酒を飲みながら一晩中踊って楽しむアンデスのお祭りのイメージから作った造語です。  このグループが主催し、6月25日(土)に東京の代々木公園野外ステージで「第3回アンデス村祭りコンサート」を行います。観覧無料、雨天決行。全部で3つのグループが参加します。雨が降らなければ、ステージそばでフリーマーケットが開かれたり、屋台がでたり楽しいですよ! 詳細はこちら→http://www.kenta90.com/prenmei/2011yoyogi.html  告知ついでにもうひとつ。ケーナ奏者のMasahikoさんと活動を始めて、もう6年ほどになるのですが、彼と今年の2月から月に1回のペースで、インターネット生ライブを放送しています。USTREAM(ユーストリーム)のサイトからの配信で、1時間ほどのトークと生演奏の番組です。視聴無料で、以下のURLにアクセスしていただくだけで、楽しむ事ができます。 http://www.ustream.tv/channel/ken-music  次回の放送は6月19日(日)午後9時から1時間ぐらいの予定です。この時間帯は、ちょうどテレビで「JIN〜仁〜」や「マルモのおきて」など人気ドラマが放送される時間枠で、競争相手が強力ですが胸を借りるつもりで頑張ります!向こうは我々の事、知りもしないでしょうが。ガハハハ!
パパ・サラだより第40号2010年8月10日号に掲載 カミさんが去年の春に山梨の山小屋に自分の工房を立ち上げてから、ほぼ毎週東京と山梨を往復しています。車でないと行けない場所なので、私はもっぱら彼女のお抱え運転手。  山小屋での私の楽しみは、今の季節は畑の収穫。畳3枚分ぐらいの狭い畑に、キュウリ、ミニトマト、シシトウ、ナス、ピーマン、枝豆、バジル、ブルーベリーがおしくらまんじゅうで植わっています。  畑をやっているといろいろ発見があって楽しいです、たとえば、土の養分が足りなくなってくると、キュウリは雄花ばかり咲くんです。追肥をして半日もするととたんに雌花が咲き出します。追肥の行為がまるで動物に餌をあげている感覚になって、実をたっぷりつけろよ〜と、ついついたっぷり多めにあげてしまいます。  収穫したての美味しさで一番びっくりしたのは枝豆。採りたてを茹でたものは、スーパーマーケットで買うのと全然味が違うのです。とっても甘くて、味が濃いです。来年は、枝豆を植えるスペースを倍に増やそうと思っています。  前号でお知らせしたケーナ奏者のMasahikoさんから依頼されたCD制作、無事完成しましてインターネットで販売を開始しています。ちょうどパパ・サラの新しいCDの制作と時期が重なってしまい、結構ハードではありましたが、納得のいくものが出来上がったのではないかと思っています。  私は、作曲、編曲、演奏、レコーディング、ミックスダウンを担当しています。ご興味ありましたら、是非聴いてみてください。 「アンデス幻想/Masahiko & Tres Picaros」(KM-1001) 販売サイト「KEN MUSIC」http://www.kenta90.com/kenmusic/cd.html
パパ・サラだより第39号2010年3月10日号に掲載 一昔前ならば何千万円もするレコーディング機材が必要だったCD制作。今ではパソコン、10万円ほどのソフト、それにコンデンサーマイクなどの機材があれば、それらの高額機材と同じ水準の録音が行えるようになっています。サウンド作りの面でオペレーターの得意な分野があるので、それを利用したければ貸しスタジオで録音することになりますが、特にこだわらない場合は、納得がいくまで時間をかけられる自宅録音の方に利点があるように思います。二重サッシにした自宅の部屋で、今「Masahiko & トレス・ピカロス」のレコーディングの真っ最中。CDタイトルは『アンデス幻想』で、収録曲11曲すべて私の作曲&アレンジ。5月リリースの予定なので、出来上がりましたら、またご報告させていただきます。
パパ・サラだより第38号2009年11月9日号に掲載 埼玉県のある 道の駅 に寄ったときのこと。カミさんの「あったぁ〜!」とちょっぴり興奮気味の声。手にしていたのは・・・米麹の袋。  3月の酒蔵コンサートと同時開催した「二人展」。陶芸家の高橋協子さんとウチのカミさんの絵画の展覧会を6日間行いました。開催中、カミさんは、何日か協子さんのお宅に泊めていただいたのですが、その時協子さんの手作り味噌の美味しさにメチャメチャ感激したのだそうです。ばっちりレシピを教えていただくも、なかなか米麹に巡り会えなかったというわけです。  材料が揃えばさっそく製作にとりかかるわけですが、1kgの大豆を一晩水に浸したものを大鍋でグツグツと煮込むこと4時間。ここで、作業を覗きに来た私に至上命令がくだりました。指で挟んでつぶせるくらいまで煮込んだのを、今度はヘラでつぶしていきます。本当はミキサーとかあると随分楽なのでしょうが、こりゃ結構な力仕事!頭にタオルを巻いて汗だくでひらすらつぶしまくりました。カミさんは「この味噌をケンタ味噌と命名しよう!」とか調子の良い事を言いながら横で作業を見守っています。  つぶし終えた大豆に米麹1kg、塩500gを入れ、煮汁500mlを戻し、かき混ぜると出来上がり。それらをジップロック(密閉できるビニール袋)に詰めて、空気を抜いて寝かせておきます。半年後、旨い味噌が出来上がっている・・・かな?  アンデスファンの方々にお知らせ!『パチャママの贈りもの』という映画が12月19日(土)から関東地方の4つの映画館で封切られます。年が明けてから全国各地で順次公開されていくようです。ホームページの予告映像を見た限りでは、アンデスの子供達や美しいボリビアの自然の映像満載で、メチャメチャ面白そうです。詳細はインターネットでご覧下さい。 ●パチャママの贈りものHP  http://www.pachamama-movie.com/
パパ・サラだより第37号2009年8月12日号に掲載 昨年の秋、ブルーベリーの木を植えました。おいしそうに色づいたら、すかさず小鳥に食べられちゃうと聞いていたので、 まだ小さくて青い幼い実がたくさんぶら下がっているのを見つけても、嬉しい気持ちよりも彼らとの争奪戦を想像して、せめてこれらの半分は我々の口の方にいただきたいものだと思案を重ねていました。 今はちょうどブルーベリーの収穫の季節。はたして争奪戦の結果は・・・。育てて知ったのですが、ブルーベリーって数日の間に全部の実が一斉に色づくのでなく、枝ごとに2〜3個の実が順番に色づいていくのです。 というわけで、小鳥たちに群がられることなく、採りたての甘酸っぱいのをカミさんと毎日少しずつ楽しんでいます。
パパ・サラだより第36号2009年6月18日号に掲載 先月は、私がライフワークにしているアンデス土着音楽のグループで演奏する機会が2回もありました。 1回目はゴールデンウィークさなかの5月3日(日)。横浜港開港150周年記念で盛り上がる横浜の中心街3.4kmを、沿道の大声援の中、 シクリアーダ隊の演奏と民族衣装の踊り隊の総勢63名で練り歩きました!「アンデス村祭り隊」の団体名で、3回目の参加。 今年は日本人移民の第一陣が横浜港からペルーに渡って110周年ということもありまして、『日本とペルーの未来への架け橋、横浜港』というテーマで、在日の日系ペルー人たち16名に参加してもらいました。 また、子供や配偶者を誘っての家族での参加、学生たち若者の参加が多かったのも今年の特徴。年を重ねるごとに、確実に根づいていく実感があり、主宰する私としてはうれしい限りです。 2回目は5月24日(日)に行った「第一回アンデス村祭りコンサート」。代々木公園野外ステージを借り切って、国内のアンデス土着音楽を演奏するグループに声をかけて行いました。 関西の大きなイベントと日程が重なってしまったことと、あいにくの雨模様だったために、参加グループは3団体だけでしたが、各グループ熱の入った演奏で盛り上がりました!来年も6月に2回目を行うことに決定!今から楽しみです。 前々回の近況で書きました山小屋生活。その後、カミさんの石版画制作に欠かせない300kgもあるプレス機を運び込んだことから、最近では私が東京で用事がない時は、山小屋の方で過ごしています。 今私がはまっているのは、七輪での網焼き!焼いた魚介類や野菜に、ちょこっと粗塩を付けて食べると最高です。山暮らし、めちゃ楽しいです!!
パパ・サラだより第35号2009年2月27日号に掲載 気持ちを新たに今年も始まりました!皆さん、どうぞよろしくお願いします。 先日2月8日に,JR川崎駅に隣接するラゾーナ川崎プラザソルというホールで、 ケーナ奏者Masahikoさんのコンサートで演奏してきました。 「コンドルは飛んで行く」と「花祭り」以外は すべて私の作曲、編曲での演奏で、全部で14曲。 お客様の反応も良かったし、興行的にもほぼ満席で大成功でした。 Masahikoさんと半年間かけて、 二人三脚で積み上げていったコンサートでしたので、感激もひとしお! YouTubeで少しずつですが映像配信を始めています。 ご興味のある方は、http://www.kenta90.com/masahiko/ ハッチも参加しているはっぽんバンドは、俳優山谷初男のバックバンド。 一昨年は美輪明宏さんの芝居、去年は仲代達矢さんの芝居で日本中を駆けめぐっていて 大忙しの山谷さんでしたが、昨年の秋あたりから歌に情熱をそそいでおります。 ディナーショーやライブをこなし、 5月15日(金)には京王線下北沢駅下車徒歩5分の北沢タウンホールでコンサートの予定。 役者の味のある歌や朗読、 そしてパパ・サラの時とはまた違ったハッチと私の演奏を楽しみに是非いらしてください。 チケットは、「e+」のサイトで販売中! そして、パパ・サラは、何と言っても3月21日(土)の酒蔵コンサート。 先日、若駒酒造で実行委員会の話し合いがありまして、 パパ・サラの代表で行って来ました。 コンサート会場になる蔵の樽はからっぽなのですが、となりの蔵に入ると芳醇な香りでいっぱい! 並んだ大きな樽の中身はあと数週間でお酒になり、コンサートの時には、この新酒を試飲できるそうです。 1泊する予定でしたら、酒蔵コンサート翌日は、栃木駅下車して蔵の町を散策したり、 日光に抜けて東照宮参り、もしくは下館から蒸気機関車に乗って益子で陶芸の町散策なんてコースもあります。 観光がてら是非どうぞ!
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