近況

   

小村久仁夫近況!

    パパ・サラ・クラブの会員に郵送しているパパ・サラ便りに掲載されたものです。

   

2018.5.20.更新

   


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パパ・サラだより第57号2017年8月5日号に掲載6月から世田谷の下野毛の団地跡の発掘作業に参加しています。特に7月に入ってからは暑いのなんの。ある日の仕事を始めたばかりの野外温度が36度、まだメンバーから熱中症は出ていませんが、毎日朝礼で水分補給、塩分補給、睡眠不足等の注意を受けながらの作業を続けています。最近の定期的な検査では、今までなかなか下がらなかった「中性脂肪値が下がりましたね」とか「体内水分量が上がりましたが、今はこれでいいです」等と言われています。とにかく場所が大井町線の等々力駅と遠く、ひばりヶ丘駅〜自由が丘駅〜等々力駅となんとか座席に座って、疲れがたまらないように努力している日々です。 跳老
パパ・サラだより第56号2017年1月25日号に掲載皆さん、新年おめでとうございます。昨年の暮れ、ある日の朝方、その日は休みだというのに、いつも通り5時前に目がさめてしまい、何故かふと今年の一年はなどと考えてしまい、さまざまな場面を思い浮かべてしまいました。年の中盤までは20年ぶりに復活したOBグループ「ラーク・アンサンブル」で練習、練習…平均年齢70歳コーラスグループ、昔演奏した曲を一生懸命思い出し、何とか4回ほど本番を演奏して、また解散。良い思い出に。それと合わせ『パパ・サラ結成20周年ライブ』、久々に…初めて…超満員でライブは大成功。夏から秋には遺跡の発掘で、中央線吉祥寺駅井の頭公園そばで、縄文から旧跡時代の発掘。何といっても、この発掘に参加したメンバー20数名の相性の良さ、出土遺物は縄文時代の土器がゴソゴソ、期限切れで途中で遺物をあきらめながら発掘終了。後日の忘年会の楽しかった事、会の終わりにパパ・サラCD3枚を皆んなで聴いてくれ、この上なく幸せな気分でした。 跳
パパ・サラだより第55号2016年9月18日号に掲載何はともあれ20周年記念ライブがパパ・サラライブ史上初めての大入り満員で終わることが出来、ついにここまで来れたという思いを実感しています。  今回のライブにあたって北海道から祝酒が届き、ライブ当日には広島県尾道市因島から家族ぐるみで参加してもらい、来れなかった人も記念CDの注文をしてくれたり、何よりも20年間何度もライブに来て応援してくれた人達皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。これからもどうぞよろしくお願い致します。  私自身は7月まで井の頭公園近くで発掘していましたが、8月に入り府中本町の仕事場で井の頭で出土した遺物、縄文土器や旧石器時代の遺物、黒曜石の製品やかけら等の洗浄の仕事をしています。今迄は野外で肉体労働をしてきたのに、突然室内での仕事ということで、体がナマってきそうで心配している今日このごろです。 跳老
パパ・サラだより第54号2016年6月18日号に掲載4月までは三鷹の北野で東京外環道路ジャンクション化に伴う発掘調査から、5月には同じ目的に伴う調査を大泉学園近くでの発掘に変わり、ひと月もしないうちに今度は吉祥寺井の頭公園近くの発掘に移動、この間30度に達する中での発掘や霧雨の中の発掘等、体調に厳しい発掘が続いていますが、現在は仕事終わりに井の頭公園の中を通っての帰り道に少し癒されています。跳老の遺跡調査日誌でした。跳老
パパ・サラだより第53号2015年12月17日号に掲載いよいよ冬の寒さが身体にしみてくる季節になりました。遺跡の発掘作業にかかわる者としては季節の変化は敏感に感じとっています。 現在は明治通り沿いにある学習院女子大の中で発掘作業をしています。主として江戸時代の尾張徳川家下屋敷跡の発掘と明治時代の近衛騎兵連隊跡の発掘をしています。しかしこの発掘も間もなく終了の予定で、いつものことではありますが、作業員達の間でさて次の現場があるのか無いのか話していて、しばらくは落ち着かない日々を送る事になります。  又もう一つさびしい出来事がありました。それは長年お世話になって来た近くの小さな八百屋さんが11月いっぱいで閉店になってしまいました。おやじさんは私と同じ年齡で、それはそれは働き者で頭が下がる思いでした。奥さんも詩吟をたしなみ、いろいろ大きな舞台を踏んで来たとか。毎日店の前を通りながら言葉を交わして来たのに、今は店のガラスに『諸事情により閉店する事になりました』との貼り紙があるだけで、今も毎日そこを通るたびにさびしいさびしい思いをしています。 跳老
パパ・サラだより第52号2015年7月1日号に掲載次は6月26日(金)のパパ・サラ・ライブ、それが終われば…それが終われば…という正直な気持ちです。例年になく劇場例会が続き、パパ・サラとは関係が無い個人としての仕事が6月14日豊島公会堂でありました。20年以上前のコンサートを最後に解散したグループを再結成し演奏してほしいとの要望があり、昔のメンバーが集まり昨年から練習を再開、何とか終わる事が出来チョットだけ一息入れている所です。とはいえ発掘作業は続けなくてはと、現在は昨年も一度試掘作業をした三鷹市北野という所で中央高速道路ジャンクション化に伴う発掘作業をしています。 跳老
パパ・サラだより第51号2015年2月6日号に掲載皆様、今年もどうぞよろしくお願い致します。2015年1月5日赤羽台団地の遺跡発掘から新年が始まりました。さしずめ掘り初めということでしょうか。 昨日は、6月6日にパパ・サラ "コンドルは飛んで行く” コンサートの為の第1回打ち合わせということで神奈川県海老名おやこ劇場に行って来ました。又これとは別に5月30日に横須賀おやこ劇場主催パパ・サラ コンサートの第1回打ち合わせで2月21日浦賀へ。加えて、私のOB合唱団でのラークアンサンブル再結成という呼びかけで6月14日にゲスト出演等々、初めてという感じで大まかなスケジュールが決まってしまいました。とりあえずは一つずつ着実にやっていくしかありません。 最後になりましたが、非常に個人的なことで申し訳ありませんが報告です。昨年の暮れに私の兄が急逝しました。ということで、新年のごあいさつが皆さんと出来ませんでした。大変失礼しました。
パパ・サラだより第50号2014年8月5日号に掲載 現在は都内文京区茗荷谷で遺跡の発掘をしています。この地は 江戸時代、捕らえられた人々が居住していた所。発掘現場の目の前にはキリシタン屋敷跡地と刻まれた石碑が立っています。現場からは、それにまつわる 物は地下室(むろ)が一カ所のみです。 ガンガン照りと超湿気の中、必死にやっていますが、この現場も7月いっぱ いで終わり、8月からは京王線の聖蹟桜ヶ丘の現場になる予定ですが、夏の 暑さがかなり気になります。 又、私のOBグループであるラークアンサンブルが、来年6月に出演することになり、再々結成され活動が始まり緊張しはじめているところです。
パパ・サラだより第49号2014年2月20日号に掲載 2月2日、今年初めてのライブ、前回のライブから少し間が空いたせいか、何かのプレッシャー?若干の不安を抱えたままのライブでした。しかし終わってみれば久しぶりの満員のお客様で、最後まで盛り上げていただきました。アットいう間に2月に入り強烈な寒さと風の中、発掘作業を続けています。年々体力的にきつくなってきて、いつまでやれるかなーという今日この頃。パパ・サラ18年の歩みの中で発掘作業で知り会えた人達には、いつのライブにも誰かが来てくれて感謝感謝の気持ちでいっぱいです。さて我がベランダのシクラメン便りです。7月から一輪一輪と咲き続け、とうとう満開の日を迎えようとしています。最近ではすずめが2羽3羽と遊びに来てカップの水を飲んだりしています。チョッピリ癒されています。
パパ・サラだより第48号2013年11月27日号に掲載 11月8日大塚駅近くのライブハウス「ウェルカムバック」でのライブが終わりホッとしています。昨年6月以来1年5ヶ月ぶり。ライブハウス近くの上中里で一緒に発掘をしていた仲間が『この近くでやってくれたら絶対聴きに行きます』と云ってくれていて、その仲間たちも含め約20名、大変盛り上げてくれました。現在は、西武線の江古田近くで発掘を続けています。話は変わりますが、前にも書きましたが、ベランダで7月下旬から一輪一輪と咲き続けている赤いシクラメンの花。11月現在新しく三輪の花を咲かせ、下の方にはツボミが3ツ。このまま冬中咲き続けるのか興味津々です。
パパ・サラだより第47号2013年7月2日号に掲載 この時期いろいろありますが、又又体調の問題が。おやこ劇場コンサートの2週間前の月曜日、発掘の仕事中、どこかで腰をひねったらしく、だんだん痛みが増し、力仕事が出来なくなり、仕事は午前中で早退し、それからは毎日診療所通い。指圧にハリ、電気といろいろやってもらいながらの2週間。4月に3日程相模原に通い、コンサート前の事前交流会に行き、音楽との出会いや子供達への思い等の質問を受けながらのプレゼン1回1時間30分。何としてもコンサートの成功と会員拡大をと意思統一、失敗するわけには。何とか体調を回復させギリギリセーフという感じで、本番大緊張の中無事終わり一安心。しかし今度は発掘の仕事が務まるか心配中。こんな記事ですみません。
パパ・サラだより第46号2013年3月12日号に掲載 小村久仁夫 小雪が舞い散る2月19日、今日もその中でベトベトする地べたにへばりついて堀り続けました。古墳時代らしき遺物が出土しています。時おり立ち上がっては固まった腰を伸ばしながら『どうせ降るなら、もっとしっかり降らんかい!』等と仲間とボヤキながら、結局一日中掘り続けました。ホッカロンを貼りながらでしたが、かなり腰にきています。前号にも書きましたが、たくさんの葉をつけてくれた2鉢のシクラメン、成長もゆっくりになり未だ花をつけてくれません。やはり今年のベランダは特別冷たい様。そんな中、又又今までの倍はあろうかというシクラメン一鉢がやってきました。花びらの下半分は白、上半分は赤みがかったピンク色、それはそれは見事な花を咲かせています。やはり今年もちゃんと?面倒をみなくては。
パパ・サラだより第45号2012年11月10日号に掲載 三年前に我が家にプレゼントされたシクラメンの花2鉢。育て方も良くわからない中、水やりだけは毎日かかさずやってきました。今年も年明けまで見事に花屋さんのシクラメンよりたくさんの花を咲かせて楽しませてくれましたが、最近まで丸坊主の様でした。しかし、この一週間の中で何とまたまたニョキニョキといくつもの葉が出てきました。ひょっとして今年も満開の花を咲かせてくれるのでしょうか?チョット楽しみです。(似合わない話しをしてしまいました。)酒蔵コンサート、そして10/26はっぽんライブを終わり、少し落ち着いた感じですが、もはや11月、年令と共に増々一年が短く思えます。昨年、生まれて初めての入院生活を経験した事もあり、今年の終わりまでしっかり気を引きしめていきたいと思います。
パパ・サラだより第44号2012年6月25日号に掲載 早くも梅雨入りの季節になりましたが、この間私の遺跡発掘の仕事に変化がありました。新宿駅南口、この発掘作業も3月で終わり現在は山手線田端駅から京浜東北線で一駅の上中里駅そばで作業をしています。(かなり地味な感じの知名度のうすそうな駅)当面7月いっぱいの発掘になりそうです。お陰様でこの間に体調も上向きになり、5月に入ってウェルカムバックとギター文化館の演奏を無事終わる事が出来ました。ウェルカムバックのライブには、上中里の現場で知り合いになったばかりの8名の仲間が雨休みにもかかわらず来てくれ、ギター文化館には2年前にも来てくれた私が所属していた合唱団太鼓グループのメンバー夫妻がかけつけてくれ “小村さん、又一段とパワーアップしたね。感動しました” と嬉しい言葉。感謝感激です。しかし、2月のライブから5月のライブ迄3ヶ月空いてしまったのは、コンディションづくりに大変でした。
パパ・サラだより第43号2012年3月17日号に掲載 アッという間にといって良いか、あの3・11から1年が、そして個人的にも緊急入院してから半年が過ぎ、いろいろな事を考えさせられました。現在体調は85%くらいというところ。知り合いに言われた『肺炎は時間がかかりますよ』その通り。加えて糖尿のダブルパンチ。肺炎はなんとかなった様ですが、後は気長に付き合うことに。これからも、平穏無事にはいきそうもなさそうです。現在の遺跡の発掘状況は大都会の新宿駅南口でJRの高島屋への橋の建て替え工事に伴う発掘作業で、江戸時代から旧石器時代までの遺跡発掘に従事しています。本年もよろしくお願いします。
パパ・サラだより第42号2011年11月2日号に掲載 近況を書くのは、ややつらい気持ちです。というのも前号で『生まれて初めてのギックリ腰を・・・』と書いたばかり、それが良くなったと思う間もなく、またも8月にそれこそ生まれて初めて緊急入院して、2週間も病院のベッドで過ごしました。過労、高熱、肺炎、びらん性胃炎、糖尿等々、出るべきものがみんな出た様。退院してからが大変。体重は7kgも減り、10月1日にはライブ、間に合うのか。  それから近くの落合川までの毎日の散歩。この川は30数年前初めての遺跡発掘作業に加わった所。遊歩道も出来、綺麗に整備され、その頃の思い出の場所はどこにもなし。カルガモ、コイ、白サギなどに癒されながらのリハビリ。ところが本番寸前カズちゃんのお母さんが亡くなり、本番ボーカルは1人でやることに。重なる時は重なるもの。パパサラ始まって以来の試練。かろうじて本番はセーフ?自分ではこれ以上・・・とにもかくにもメンバー4人で頑張りました。
パパ・サラだより第41号2011年6月16日号に掲載 イヤーまいりました。生まれて初めてギックリ腰とやらにとりつかれてしまました。日曜日以外は毎日治療院に通っています。あの3・11の日、12時間かけてヘロヘロに疲れきって帰宅したあの時ですら、こんな事にはならなかったのに。  今考えてみれば、5月25日かわさきおやこ劇場例会コンサートに出かけるとき、ほんの一瞬、右腰が引きつった様な感じ、そして本番で7年ぶりに叩いた大ボンボ。盛り上がって調子に乗って叩きすぎたかなーと。とにかく本番では全く影響がなかったので、良かった、良かった。やっぱり、年だ、年だと感じるばかり。  6月1日より遺跡発掘作業が始まりましたが、一週間、イヤもう少し遅れて参加させてもらうことに。皆さんも気を付けて。
パパ・サラだより第40号2010年8月10日号に掲載 7月17日のはまゆう会館、2ステージを終えホッと一息。今は毎日毎日町田市立博物館に通って、大きな展示室の中で遺物の整理を続けています。昭和39年(1964年)頃からの発掘遺物。チョットした感慨もありますが、時が過ぎた分、ホコリをかぶっていて掃除するのが大変。一日中建物の中での仕事、今までの野外で太陽をあびながらの発掘作業と違ってチョット自分には似合わない感じ。ともあれ今は、通勤時間往復約5時間、この疲れに負けないで11月まで頑張れねば。
パパ・サラだより第39号2010年3月10日号に掲載 2月25日春一番が吹いたとたん目にかゆみが・・・又始まりました花粉症の季節。いつまで続くのでしょうか。そんな中、昨年からずーっと淡路町での再開発に伴う遺跡の発掘調査。寒空の中、中大手ゼネコンの下で、毎朝8時からラジオ体操、朝礼と互いに向かい合って指差呼しょうで『ヘルメット良ーし』『アゴヒモ良ーし』『足元良ーし』『顔色良ーし』。 さぁ仕事開始。しかし自分自身、ウン十年の経験の中、一番恵まれない環境での発掘作業となっています。それも、あと一週間の辛抱。何とか体をこわさず終わりたいものです。  2月26日は、本年初めてのはっぽんライブ。お客様はいつもの半分くらい。よく考えたら、夜のテレビはオリンピックのキム・ヨナ vs 浅田真央の放送。だいぶ影響されたのかも・・・。そんな中、毎回の様に来ていただいている皆様、本当にありがとうございます。本年もよろしくお願い致します。
パパ・サラだより第38号2009年11月9日号に掲載 10月8日、11日と2回の演奏も終わり、その疲れがとれて来たころ、ベランダの植木鉢を見ると何とあきらめかけていた花が一輪、深紅の可憐な花ビラを見せてくれました。花の名前は「ルコー草」(ルコール)とか。7月から9月にかけて京王線府中駅の近くで発掘調査。その調査区のまわりを囲い込むフェンスに朝顔の花と一緒に茎をからませながら満開の花の競演。調査終了と同時に次の建物の為に全部つぶされる運命。もったいないもったいないと作業員のメンバーで少しずつ持ち帰ったもの。なんと10月になって、5株ほどの内一番若い一株から深紅の一輪。一日咲いてしぼみ、次の朝また別の一輪が咲いてはしぼみ、今日まで7輪咲き、明日咲こうとしている蕾が一つ。4cmくらいの長さでトランペットの様な形の深紅の一輪に魅せられている。なんとも不似合いな今日このごろ。
パパ・サラだより第37号2009年8月12日号に掲載 6月に入り遺跡発掘調査で品川は大崎まで10日間ほど通いました。途中雨の為2日間は午前中で作業中止。 2m×8m、深さ1m。縄文土器が出るわ出るわ、非常に密度の濃い発掘になりました。 何日目だったか大事件?骨が出土。普通ならあまり驚きもありませんが、今回は出土状況が事件っぽい・・・ 刑事、警察、署長、交通整理のおまわりさん、ついには科捜研の女。通りは大騒ぎ。 結局途中で牙が出土したという事で、一件落着一安心。 そして現在は、京王線の府中駅のそばで、平安時代の住居跡等を発掘調査しています。 体調は、バネ指(右手親指)、右肩痛共に90%の回復ですが、もう一息というところです。
パパ・サラだより第36号2009年6月18日号に掲載 3月後半から長年の蓄積疲労によるものか、右手親指がバネ指(初体験)になり、 右肩の痛みで夜も眠れない状態になり、これはイカンと思い団地の目の前にある治療院に通い始めて約2ヶ月、 ようやく右手バネ指も右肩痛も8割方回復し、現在は京王線府中駅そばの発掘作業に参加しています。 話は変わりますが、悲しい出来事がありました。 それは5月22日はっぽんライブでお知らせしましたが、パパ・サラ・ファンクラブの宇都宮在住酒井さんが亡くなられました。(享年48才) 13年前パパ・サラ結成後始めての益子コンサートに実行委員の一人として参加していただいて以来、 忙しい合間をぬって都内のライブをはじめとして、あちこちのアトラクションに駆けつけてくださり、 パパ・サラの演奏を何度聴いてくれたか知れません。おそらく私たちの演奏を一番多く聴いてくれた人だと思います。 『酒井さん、13年間パパ・サラに心から寄添っていただきありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。』合掌。
パパ・サラだより第35号2009年2月27日号に掲載 2009年新年2日から、何年続いたでしょうか、 例年通り故郷の同級生にお世話になりながら親戚まわりをし、 幼なじみとも話がはずみ、好天にもめぐまれ、 ただひとつの事を除けば楽しい日々を過ごしてきました。 そのひとつの事とは、たった半年の間に何と実家の浜側に建物が建っていて、 今まで目の前に広がる海とその向こうの富士山が鮮やかに目に飛び込んで来たのに、 その景観がピタッと遮断されているのです。 開いた口がふさがらないとはこの事。 今はよそ者になってしまった者としては、物心ついた時からの風景が目に焼きついていたのに・・・ またひとつの故郷が消えてしまった想い。 1月10〜12日、四国愛媛県の宇和島〜松山に、親戚と共に、 つれあいの今は亡きお父さんの故郷をたずねて来ました。 宇和島は「ひところは真珠産業でにぎわっていたのが、 今はそれも下火になり静かな町になってしまった。」とタクシーの運転手さんの話し。 翌日は夏目漱石づくしの松山散歩。 マドンナバスや坊ちゃん電車に乗り、 道後温泉の目の前で漱石ビールを飲み、温泉には混雑していて入らずじまい。 たった3日でしたが新たな発見。 それは四国宇和島は、東京より寒い事が多い所でした。 発掘の方の仕事は、1月は三鷹方面の公園の改修に伴う発掘作業。 2月は、都内K病院の駐車場での発掘作業(主に江戸時代)に行ってきました。


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