〜日記のようなコーナー〜

2000年8月30日
寿司屋のメニュー
パレスチナ滞在中お世話になった美術館の館長さんを日本に招いた時、同行したグループのみんなが「何をオミヤゲに持たせるか」頭を悩ませた。お世話になったスタッフの皆に分けてもらえて、重くなくて、空港で怪しまれなくて、日本ぽくって、・・・人形、手ぬぐい、菓子、それぞれ持ち寄るとやはりたいへんな量になった。
そこへもってきて私は最近お気に入りの(みんなにもおすすめ!!)
丸木位里さんの「ピカドン(原爆のことを書いた絵本)英語版」を持っていったもので、「内容はいいが、重くなるではないか」と他のメンバーにブーイングをあびた。
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でも、一番彼が目をかがやかして喜んだのは、たまたま本を包むのに使った寿司屋のメニュー(郵便受けに投げ込まれるやつ)だった。
あらためて、これを海外土産ベスト1に推薦する。う〜む。

2000年8月21日
暴走神父
メキシコのプロレスのことを「ルチャ・リブレ」と言う.直訳すると「自由の戦い」もともとどういう経緯で生まれたものなのか知らないけど,何となく想像つく.
そのルチャ・ドール(レスラーのこと)に,フライ・トルメンタという老レスラーがいる.直訳すると「嵐の神父」この人,本当に神父さんなのだ!メキシコではレスラーだけでは食っていけないから皆空いた時間にアルバイトをしているが,なぜ神父?
答えは,レスラーが神父をしてるんでなく,神父がレスラーをしてる.といったらわかりやすいか.メキシコの孤児院「カサ・デ・ロス・ムチャチョス(チビッコ達の家)」の子供たちを養うために彼はルチャドールとなった.チビッコ達の・・・ん?どっかで聞いたことあるぞ.チビッコハウス.そう,彼はアニメ・タイガーマスクのモデルなのだ.「虎の穴」はないけどね.
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その話を題材にしたお芝居を5〜6年前見に行ったとき,なんと本物のフライ・トルメンタが来日していて,サイン会があった.覆面にサインをしてもらいながら,ヘタクソなスペイン語で「いつかメキシコに行ってみたいです」と言ったつもりで「メキシコへ行きます」と断言してしまった.すると,彼は「ぜひここに訪ねてきてください」とチビッコハウスの名刺をくれたうえに,あなたの名前は?ときかれた.サトコという名前は外国人には発音しずらいから,2〜3回サダコ?サツコ?と言ったきり黙ってしまったが.
あれからまだメキシコへは行けてない.たしか馬場さんに近いお年だったと記憶していたので,まさかもうルチャはしてないだろうと思うが・・・せめて彼が生きているうちに訪ねてみたい.

あとで詳しい人にメールもらって、タイガーマスクの連載方が暴走神父のデビューよりずっと早いことを知った。モデルではなかったようです。ごめんなさい!!

2000年8月6日
ミル・マスカラス
10年前まで私はメキシコ人はメキシコ語,ペルー人はペルー語をしゃべっていると思っていた.今でも私の身の回りの,友人の60%,親戚の98%ぐらいが「ペルーって何語しゃべるの?ペルー語?」ときく.
フォルクローレ(アンデスの音楽)を知って,その歌詞がスペイン語であると知って,意味が知りたくて勉強を(イイカゲンな独学だが)はじめて,「数字の数え方」なんかは結構早いうちにでてくるわけで,そうして「ミル=1000」だと知る.
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そう,それはまるで「水」という名前に気がついたヘレンケラーのようにオドロイタ(ウソ).
「千の仮面を持つ男」というのはミル・マスカラスのただのキャッチフレーズだと思ったら,名前がそういう意味だったのだ.他にも,メキシコのプロレスラー,とくに悪役は「モミア(ミイラ)」「ピラタ(海賊)」「ディアブロ(悪魔)」など,ものすごく解りやすい名前だと気がついたときは,誰にこの喜びを伝えたらいいのかわからず(くだらなすぎ!)ひとりニヤニヤしていました.
ミル・マスカラス(千の仮面)の弟がドス・カラス(2つの顔)というのは,なんだか不公平だな〜いくら弟だからって,と思ったが,千個あっても仮面は仮面.顔そのものが2つあるのはある意味こっちのほうが怖いかなあ.なんか日本人ぽい.
で,急にドス・カラスが好きになった.

2000年7月22日
名言
ある女流画家さん(64)の話し;
「アタシ,外で働いたことないのよ!なにせ19の時から専業主婦っていうセクシーな職業だったもので」
先日だんなさんが定年退職になり,さっそく退職金全部使って世界一周旅行に行ってきてしまった.
「ウチにはもう金目のものは全然ないの.ウチの財産は私だけなのよっ!」

2000年6月27日
怪しい荷物・1
フォルクローレ奏者の知りあいは,ペルーやボリビアから大量に楽器を持ち帰る.まるでドラキュラの眠るカンオケのような箱は,いかにも怪しく,毎回税関に止められる.
「それは何か?」「楽器だ」「売るのか?」「自分が使うものだ」「では演奏してみよ」
と,その場で演奏させられるらしい.私が思うに,わかっていてわざとやらせてるんではないかな?
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彫刻家の人は,搬入搬出にホロ付きトラックは欠かせない.イベント,事件,要人の来日,とにかくいろんなことで検問のようなことがあると,ホロが開けられたとたん出てくる手とか足とか(もちろん粘土製)に警官がギョッとするので「だからいわんこっちゃない」と思うそうだ.(吹きだしたりしたら怒られそうだけど)
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以前プロレスファンの友達の車に乗っていたとき,やはり何かの検問で荷物検査された.そのとき,彼女のカバンの中にはチェーンが入っていた.彼女はブルーザー・ブロディのファンだった.(わかるかなあ?)
怪しい荷物・2
フォルクローレのコンサート会場に楽器を持っていく人が多いのはなぜ?「ボクもやってるよ〜!」という連帯感のためか,チャンスあったら演奏に加わろうというのか?それはどんなチャンスだ?
でも,遠い外国から来た演奏者がもしそれを見たら,自分の国の文化をこんなに理解して愛してくれている!と喜ぶかもしれない.未確認だが.
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ロックなどのコンサートでは,ミュージシャンとまったく同じ髪形・メイク・衣装(手作りなのが泣かせる)いわゆるコスプレの人が大量にいるが,もとはといえば,自分たちの個性を追及した上でのスタイルなのであって,そのスタイルのコピーが何万人と目の前にいるのは,はたしてうれしいのだろうか?一度訊いてみたいものだ.
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ブルーザー・ブロディというレスラー(彼ももう死んじゃったけど)は,いつもチェーンを振り回しながら入場し,時に会場の壁にぶつけてこわしたりするので,どこかの会場で出入り禁止になった話もきく.彼はすごく強かったし,頭も良かった.普通に試合するとついうっかり勝ってしまうから,時々わざと場外乱闘で凶器を出して反則負けになっていた,というのが私の持論.話がそれてしまった.彼のファンで,いつもチェーンを持ち歩いてた女の子は,そのチェーンでいったい何がしたかったんだろう?これもただのコスプレなんだろうか?

2000年6月26日
ボランティア顔
知り合いが多いね,とびっくりされることがある.でも人の行動範囲なんてタカが知れてるし,ましてや「フォルクローレのコンサート」なんて限定されたらアナタ,超狭すぎ.同じ人がぐるぐる回ってる言っても過言ではない.驚くべきことは,「知りあいに会う」ことでなく,私の「ずうずうしさ」であろう.さっき知りあった人でもえんりょなくズケズケ物をいう.
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でも,本当に「誰でも」かといったらそういうわけでもない.「親切そうな人」を自然と見分けてしまう.「親切そうな人」とは,本人の意思とは関係なく(心から親切な人もたまにいるが,おおかたの人は実は迷惑している)「たのまれるとイヤといえない人」である.私はひそかに「ボランティア顔」と呼んでいる.
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モデルのスカウトに声をかけられたことはないが,交差点でアンケートとか宗教の人にはよく声をかけられる.TシャツにGパンあるいは綿のスカート.化粧はしないか薄い.髪の毛の色は黒のツヤなし.メガネをかけている.・・・それは私か.
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ちなみに「動物占い」によると,「羊型,親切だがグチが多い」だった.

2000年6月7日
ひとが死ぬとかなしい
ひとが死ぬと何でこんなに悲しいんだろ.
身近なひとはもちろん,ちょっとした知りあいでも,時には知らない人でも,その家族が泣いているのを見たりすると,つらくてたまらなくなる.
ひとが死ぬと,悲しいのと,何だか怖い感じがある.いままでここにいたひとがフッと消えてなくなって,二度とあらわれない.
私は「怖い」の気持ちのほうが強いみたいだ.
知りあいが死ぬと,その人の記憶の中の自分も消えてしまう.まるで自分の過去まで消えてしまうみたいな感じがする.
身近なひとが死ぬと,自分の体の一部までもぎとられるような感じがする.
「痛い」感じがする.
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ある番組で若者の討論会みたいのがあって,その中のひとりが
「ていうか,何で人を殺しちゃいけないの?」とスッと言ったのでびっくりした.
その後もたびたびその発言について雑誌やらテレビやらで大人たちがとりあげ,しかも誰一人明確に答えてないのには腹が立つ.
この子は,本当に今まで身近なひとが死んだことないんだろうなあ,どころか動物も飼ったことがないんだろうなあ.金魚が死んだって,すごい喪失感なのにね.こんな喪失感を,人が人に与えていいはずないじゃん.

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