〜日記のようなコーナー〜

2003年4月19日
クルドが来るど
    
テレビの前で必ず誰か言ってそうなギャグ。
「クルド人が来るど」
     
でもこれって、きっと日本にいるクルド難民本人が普段使ってそうなネタだな。
以前あるレストランで働くインド人青年が
「僕の名前はラシードらしいど。」
と言っていたが、ダジャレの浸透は意外に早い。
    
3年ほど前に上野のJAALA展に出品したとき、
会期中クルド人の絵描きとその仲間達のパフォーマンスがあった。
というより、単に踊っただけなんだけどね。
私もしまいには踊らされてしまったんだけど。
その踊りがまたノンキな動きで。「大人の花いちもんめ」みたいな感じ。
その後また同じ会場で彼等に会ったら「おぉっ、2年前にも会ったよな!」と、
すっかり日本の兄ちゃん言葉になっていた。
難民を受け入れないニッポンの中では(不法滞在あつかいサ)
暮しにくいんだろうけど、じつに明るい。
考えてみたら故郷に帰るよりはずっとマシだし。死ぬ心配はないし。
    
クルド人について、くわしい事は「ピース・ウインズ・ジャパン」のHPで。
(URLわからないので検索してみて下さい)
      

      
2003年4月12日
カウンター上ってるし。
    
今回の戦争についてなぜか何も書く気がしなかった。
今まで平和とかパレスチナとか生死とか時々日記に書いていたので
気にして覗いてくれてる人もいるようだ。
これまで何事にも「一番の敵は無関心である」と思っていたので、
正しい正しくないにかかわらず、関心を持つことは良いことだ、
と思ってきた。
しかし今この「にわか盛り上がり」を少々疑わしく思う。
渋谷の駅前では毎晩「NO WAR」とかいたプラカードを持って唄う若者がいる。
それを取り囲んでワイワイ盛り上がってる人々は妙に楽しそうだ。
折しも選挙シーズンで、だれもが「イラク戦争反対」を折り込んでいるが、
そんなの公約でもなんでもないだろう。
選挙のたびに「消費税を下げる」とか言い続けているどっかの党と同じだ。
「キャッチフレーズ」にすぎない。
「流行語大賞」かよ?
      

2003年4月4日
こんな時に何だが
    
ある年齢以上の人には必ず経験があると思うが、
同級生の葬式が同窓会になってしまう、
そんな感覚がよみがえった。
亡くなったのは、同級生ではなく、
冬木弘道というあるプロレス団体の社長で、先日42才の若さで病死した。
お葬式に行ったわけでもなく、
ある掲示板でそのニュースを知っただっけなんだけど、
ふっとそんなことを思い出した。
    
私は最近のプロレス団体がどうなってるのかさっぱりわからないのだが、
彼がかつて「サムソン冬木」という名前で試合をしていたころ、
よくテレビで見ていた。
鶴田のようなエリートや天龍のような自己主張の強いレスラーが
色々いた中では私にはやや地味な存在に思えた。
その頃、同好会の仲間に
その冬木が大好きで「お冬ちゃん」っていうペンネームで
機関誌に熱いメッセージを書いていた女の子がいたっけ。
どうしているかな・・・?
     
なんて考えていたところへ、昨日このHPを見つけてくれたという
古い友人からメールが届いた。まったく偶然だけれども、
誰かがいなくなったとき、吸い寄せられるように、
誰かがやってくる、そういうことってあるよなあ、と思った。
      

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