〜日記のようなコーナー〜

2000年10月25日
訳知り顔でいいかげんなことを言う久米宏!よりも・・・
朝のワイドショーでピーコが「あたしは全然わかんないけど」と前置きしてから、「アメリカは大統領選でユダヤ票がほしいから・・・」と発言していて、「おっ!すっごい解ってるじゃん!」と感心した。

2000年10月24日
中東和平クイズ
というのをCNNのホームページに見つけて、やってみたら全問正解してしまった自分がこわい。
http://www.cnn.co.jp/2000/WORLD/10/11/mideast.clash/index.html
しかも、最近自分のホームページが「パレスチナ」で検索にひっかかることが判明。もうカナリ足をつっこんじゃってますね。母さんごめん。(何が?)
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ニュースは前後もわからず悲惨な画像を流しっぱなしにするだけだし。
若い友達は「パレスチナとイスラエル」の話題が出ると「何で宗教だけで殺し合いに」と思っているようだが、それは違う!!と言いたい、でも一言では説明が・・・。
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もういっかいおさらい。
1)パレスチナもイスラエルが今もめてるのはタダの「宗教戦争」とか「民族紛争」とかでかたづけちゃあいけないってこと。
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侵略したりされたりしてる他のたくさんの戦争中の国と、けっきょくは同じこと。そこに宗教建物が建っちゃってるから、ややこしくなってるけどね。建物を拝んでるわけじゃなくてその場所にしか居ないと思われるヒトを拝んでいるんだからね。他人には見えないし。理解しづらい。
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2)その上当事者以外のたくさんの国の利害関係がすごくからんでるから、簡単には解決しそうもないこと。
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アメリカはイスラエル支援国(国外援助金の70%をイスラエルのために使ってるとか。ソレでじゃんじゃん兵器を作らせてるんかい?・・・というのは私の意見。偏ってるし!)
アメリカ(移民の国だからいろんな民族がいるんだけど)の知識人のほとんどがユダヤ民族。なぜだかとくに映画関係者に多い!
確かにユダヤ民族って頭イイし芸術的才能もスゴイなあ、とちょっと思うこともある。私の大好きな画家のシャガールもユダヤ人だし。
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イスラエルは中東ではかなり人気ナシ。パスポートにイスラエルのスタンプが押してあると、他のイスラム国(マレーシアなどもそうらしい)で入国拒否されるというウワサは本当。パレスチナに住んでるのがアラブ民族。それを「追い出そうとしてる」と聞いたら、ほかのアラブ系の国は黙ってないっしょ。
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てなわけでイスラエル対パレスチナは
(イスラエル+アメリカ)対(パレスチナ+中東諸国)
なのです。ほらネ!大きすぎるハナシでしょ。

2000年10月6日
パレスチナのこと(2)
パレスチナのことをわかりやすく自分の言葉でいつか書こうと思っているうちに、あっという間に1年たってしまい、おまけにあんなふうにまた紛争がはじまってしまった。
このたびのきっかけが、ある政治家が聖地に入る入らないでモメたことに始まっちゃったから「宗教の違いだけでこんな恐ろしいことになっちゃうなんて信じられない!」と多くの日本人は思ったんじゃないかなあ?
おととし展覧会のお話しをもらったとき、私はまず「パレスチナってどこ?」ってとこから勉強しなきゃなんなかった。そのくらい知らないし、興味もなかった。
ところがその「どこ?」ってのが最も大きな問題だった。だって現在の地図の中に「パレスチナ」という国名はないんだもの。イスラエルという国の中にパレスチナ自治区という区画がある。でもイスラエルの中に、パレスチナができたんじゃなくて、パレスチナだったところをイスラエルって変えたんだよね。
で、そのイスラエルに住んでるのがユダヤ人。ユダヤ人ってあのユダヤ人?ナチスとかホロコーストとか、あのかわいそうなユダヤ人?その「かわいそうなユダヤ人」がパレスチナ人の村を破壊してイスラエルを建国したってどーゆうこと!?
その「かわいそうなユダヤ人」はロシアとかアメリカに移り住んでがんばって子孫をふやしてきて、「やっぱり自分たちの国がほしい」とアメリカやヨーロッパの大きい国々に相談した。そしたら、「そういや聖書にイスラエルに住んでたって書いてあったなあ」ってことで、「イスラエルに行けばあ?」と許可しちゃった。
ところがその場所では、大昔にユダヤ人の先祖が出て行ったあと、パレスチナ人がずーっと住んできたわけで、いくら先祖が住んでたからって1000年ぶりに帰ってこられても、っていう、もっとわかりやすくいうと、今私の家に突然知らない人が来て「江戸時代には私の家だったから、あんたは出てって」と言われるようなもので、すごく困ったろうなあ。かといって、ユダヤ人達も、もうアメリカやヨーロッパの家は売り払ってきちゃったから、今更帰れといわれても・・・という感じだったろうなあ。
って、簡単に言い過ぎちゃったけど、そういう事情で、イスラエルとパレスチナの問題は、彼等自身よりも、アメリカとかイギリスとか、そういう大きい国に翻弄された、どっちも気の毒な国なのだよねえ。

2000年10月5日
パレスチナのこと(1)
ちょうど1年前の今ごろはパレスチナで、サンドイッチとマンゴジュースもってプラプラしておりました。
それが今、この惨状です。見覚えのある町が、血に染まってるのが、こんなにつらいとは思いませんでした。
倒れている人の映像が、みんな知り合いに見えてしまう。
行く前にさんざん想像してたのがやっぱりああいう銃撃戦で、今も銃撃戦で、行ってる間だけが平和で。違うところへ行ってきたんじゃないか、夢でも見てたんじゃないか、と思いました。
有名なエルサレムやガザはともかく、ラマラ、ナブルス、など・・・
まさに1年前の今日いた画廊がラマラという、ごく普通のしずかな町でした。商店街の、キャンデー屋のお兄ちゃんが「喜太郎のシルクロード」をBGMに流していました。アラブ原産のピスタチオ入りのアイスクリームはさすがに美味しかった。
ナブルスには画廊が休みの日、古い遺跡やオリーブ石鹸の工場や「ケナフ」というおいしいお菓子があるよ〜ってことで遊びに行ったところです。
エルサレム、ガザ、ラマラのお世話になった3カ所の画廊にはさっそくメールしましたが、「町は大変なことになってるけど私たちは大丈夫」という返事がすぐにきました。
でも今日(テレビでも何度も写った)12才のモハマッド君と、同じく亡くなった2才のサラちゃん(私の姪っ子と同じ名前!!)の写真添付で、くわしい町の惨状のレポートが送られてきました。
友達も、もう私の世代から下になると「たった、宗教の違いだけで戦争になった」と思っているので、どうにももどかしい。私自身、展覧会のことがなかったら、知らずにいたと思う。
私は展覧会が終わって帰ってきて、正直ホッとして、もうパレスチナのことは考えたくないと思いました。重苦しい話題ばかりだし、アラブの音楽は好きになれなかったし、いつも日本に帰りたかった。
それでも、こうなってみると・・・・どうしたらいいのだろう?

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