〜日記のようなコーナー〜

2000年11月23日
いや、天才ピカソをひきあいに出すのも何だが・・・。
ピカソははたして世の中のことなんか考えて描いていたろうか?あ、ゲルニカがあったか。でもそれ以外の多くの作品は、自分が描きたいから描いただけじゃないか?愛する女性や子供たちのためかもしれない(描かれてうれしいタイプの絵じゃないけど)
ダリだって、モネだって、ルノアールだってさあ、・・・。
いいんじゃない?楽しけりゃ。と誰か今すぐ言ってくれ!

2000年11月20日
友の忠告
このホームページのことで心配してくれた人がいる。
正確には一時的にホームページのトップに入れていたメッセージのことで、先月パレスチナのことで頭がごちゃごちゃになっており、急いで反戦メッセージを入れたつもりなんだが、あんまし反戦の気持ちが伝わらなそうだからこれは削除した。
また、日記のことで、何箇所か何が言いたいのかよくわからないし、賛成しかねる、ということだったがそれはそのままにした。日記はその時感じたことで、それは死ぬまで同じことを考えているわけでなく、移り変わることもあるだろうし、きっとそれは自分で読んでも変に思うこともあるだろう。

2000年11月19日
役割
自分で何をやりたいのか、どこへ向かっているのか判らなくなることがよくある。特にどこかへ出かけたり、絵を描いて発表したりするたびに、私がここに来ることに何の意味があるのか、絵を描いたからって何になるのか。と、頭の中に風船を埋め込まれてしまったみたいにパキパキになる。
たまたま出かけた先の歴史が重すぎたり、絵を描いているうちに出会う人々が立派すぎる、という理由もあるかもしれない。
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結論は出ないんだけど
極端な話し
人間がタダ生きてるだけで地球にメイワクかけてるっていうし
考えたってキリがない
世の中の問題をひとつひとつ拾ってしまうと
たとえば善かれと思ってやってることが
じつはもう片方の誰かを傷つけるかもしれないし
声高にデモ行進できるほど入り込めないし
とりあえず
「知ること」が私の役割ってことじゃ
許してもらえないだろうか?
・・・って誰にきいてるんだか?

2000年11月13日
子供たち
パレスチナ、長引いているなあ。ある程度大人の人々は「10年前と同じだから・・・」と言って落ちついている。
でも子供たちが心配。まだ「無謀」と「勇敢」の区別がつかないのに、親たちの経験を聞いて育っているから、同じことをするのが当然のように・・・。
戦うことより先に、「鉄砲の弾が当ったら死ぬよ」とか、もっともっと単純なことをなぜ子供たちに教えてくれないのか。
なんで石を投げるんだ?それより、たかが石投げる人を鉄砲で撃つか?
2000年11月12日
「花嫁のアメリカ・歳月の風景」(江成常夫)
・・・という写真集がある。恵比寿の写真美術館で夏にやっていた展覧会場で買った。アメリカ占領下のニッポンで、生き残るためにいわゆる「パンパン」と呼ばれた女性達で、アメリカ兵と結婚してアメリカに永住することを選んだ人達の肖像写真。永住20年後(70年代)さらに20年後(90年代)と追って撮影したものだ。
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彼女たちは、誰にも見送られずに日本を発った。「縁を切られた」のだ。その後一切日本の家族と連絡もとらずに生きていた。日本で差別を受けながら暮らすよりは精神的には楽だったかもしれないが、日本女性がアメリカ社会に簡単になじめたとは思えない。生活も想像してたよりも遥かに貧しかったそうである。
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驚いたのは、多くの人がアメリカ人の夫に先立たれたり、離婚しているのに、日本に帰った人がいないのだ。年をとって、ひとりぼっちになったら、故郷に帰りたくなったこともあるだろうに。90年代の写真では、すでに亡くなったため、彼女の墓を撮影したものもあった。その時でさえ、日本の家族とは連絡がとれなかったそうだ。
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日本人はそんなに冷たいんだろうか、そして今でも?と思う。
2000年11月4日
ガンバレ!松江クン〜「あんにょんキムチ」を見よう!〜
「東京女性財団」というところの主催する「2000東京ウイメンズプラザまつり」というのに行った。友達がそこで詩の朗読をするというので、ほかの出演者の顔触れなど見ずに行ったら、どうもそういう団体の主催だったようだ。私は別にフェミニストではない。
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プログラムをもらってから気づいたのだが、「あんにょんキムチ」という映画の監督である松江哲明君がきていた。
在日コリアン三世の彼は、突然自分のアイデンティテイ探しの旅に出てしまう、というのを映画学校の卒業制作のために作ったドキュメンタリー作品で、たまたま2〜3日前にNHKでサワリの部分だけやっていたのを見た。面白そうだったのだ!結局もう上映が終わっちゃってて見れなかったんだけど。
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で、帰化して普通学校に通った彼と、同じく在日三世だが朝鮮学校に通ったという女の子と、在日二世のジャーナリストの女性の3人でフリートークを行ったのだが、どう見ても「松江君イジメ」にしか見えなかった。
ジャーナリストの人が「これまで苦労して日本政府の在日コリアンへの不当な差別と戦ってきた。この映画は、そんな苦労も知らずに帰化してのん気に暮らしている人々を描きすぎている。これは韓国籍を捨てれば苦労しないんだよ、という政府にアパルトヘイトされているようなものだ」と一気にまくしたてる。松江君には何もしゃべらせない。
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彼はもちろんまったくの無知なわけではない。彼の祖母は一世で、日本語があまりうまくなかったため帰化できず、そのため他の多くの外国人と同じく税金は払っているのに年金がもらえない。でも、彼はこの映画はいろんな世代の人に自由に見てほしいから、そういう被害者意識はあえてすべて削って編集したのである。
それが彼女に気に入らなかったのもわかるし、苦労の数々が我々に計り知れないのもわかる。でも、攻撃の相手間違ってるよ!!
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しかも後で友達にウラ事情訊いたら松江君には事前に、どんな人と話すか知らされていなくって、企画した人たちは攻撃をする面白いトークを演出しよう!という(やっぱりイジメだ!)
最初からそういう意図だったらしい。ひどすぎる!
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また、スタッフの人もお客さんも、な〜んとなく見覚えのある人々ばっかりだった。こういう集まりって「もともと問題意識のある人」しか来ないから同じような活動をしてる人が持ち回りで主催者になるか、客席のほうにいるか、の違いだけにみえる。運動家が運動家に何をいまさら訴えるんだ?「お互いタイヘンだけど頑張ろう!」のためのかな?
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↑松江君にサインもらっちゃって、ただミーハーしてる私みたいな奴をもっとたくさん呼び寄せなきゃ!でも呼び寄せても今日みたいな被害者意識丸出しの内容じゃすぐ離れちゃうけど。
私だってもうこの団体の主催のイベントには行くまいと思っちゃってるんだから。「今までさんざん苦労して戦って・・・」って、それでも効果が上がってないんだから、もう少し方法考えたら?と言いたいのである。でもコワイからこんな小っちゃい字で書いてるんだけど。

2000年11月3日
アンディったら!(フグではない)
ラテン・グラミー賞というのをBSで見てしまった。
アンディ・ガルシア(なぜ彼が司会を?)が黒タキシード着てると、どうしてもゴッドファーザーにしか見えない。
ベスト・フォルクローレ賞はメルセデス・ソーサの「ミサ・クリオージャ」。メルチェの歌は無かったが、誰か唄うたびにスタンディング・オベーションするのが、まるで山か岩が立ち上がるように見える。
新人賞が「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のイブラヒム爺なのである。アメリカン・ジョークなのかい?
「OYE COMO VA! MI RITMO. BUENO PA' GOZAR MULATA...」が耳から離れなくて、歩きながらつい踊ってしまうのである。(マンボの先駆者ティト・プエンテの追悼公演も兼ねていたらしい)
カッコイイのである。サルサの女王セリア・クルース万歳!今日のカツラは青だぞ!なのである。
そんな気分で今日「ラティーナ」を読んでいたら、「ラテン・グラミーを設けたことによって、かえってラテン部門が本家グラミーより低い位置づけとなった」という批判が。ああ、そういうものなのか・・・。
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