〜日記のようなコーナー〜

2001年1月20日
記念切手デカすぎ!
とくに切手収集の趣味があるわけではないが、ああゆうチマチマしたモノは好きなのでつい新しいのが出ていると買ってしまう。それに日本の印刷技術はギョーカイ人の私が言うのも何だが、世界に誇ってもよいぞ!!!!てなわけで、「スゴイだろー日本の切手は。ハデだろー。」と、自慢したいので、海外に出したりしたい。(まあ、英語やらスペイン語の文章を書いたりするのが面倒なのでしばらくゴブサタしてしまってるが)
でも、困るのがあの切手のデカさだ。より美しい印刷のために、あの大きさぐらいは欲しい。制作側としては理解できる。しかし、切手を貼ったら住所が書けないのである。たいてい住所を先に書くが、そうすると、せっかくの切手を貼るスペースが無くなる。
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切手といえば、私が以前働いていたある会社に、新入社員の営業男子で、何だか要領の悪い子がいた。ある時DMを大量に出す仕事があって、数時間後、彼は「気持ちが悪い」と言って早退した。聞けば大量のDMに貼る切手をなめ続けていたらしい。気付けよ!まわりの奴も・・・。

2001年1月18日
平和になったらまた会いましょう。
パレスチナのことと、ウカマウ映画のことを、なるべくいっしょにならないようにしてきたのだけれど、今起こっている紛争のことを抜きにして、おととしパレスチナで会った画家たちと、ウカマウ映画のサンヒネス監督に共通点を感じた。
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おととしのパレスチナというのは、領土問題は解決しないにしても、とりあえず人々の暮らしは比較的安定しており、皆おだやかな表情をしていた。一応「平和なパレスチナ」だった。
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紛争時の絵描きというのは、人々を戦いに駆り立てるような宣伝広告マンの役割を持ってしまう。私の会ったある画家さんも、その1人で、70年代の「インティファーダ(蜂起)」の時、「石を投げろ!イスラエルに立ち向かえ!」というポスターをさんざん描いた人で、描いては逮捕、拷問、拘留をくりかえしたらしい。
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その人が「平和になったら描くことがなくなっちゃった」と言うのである。
いや、こっちの英語力も相当「屁のような」ものであるが、なんだか、そんなような事を言う。じゃ、生まれつき平和な私はどーすんじゃ?と困ってしまった。
で、それをふっと久しぶりに思い出したのが、10月のサンヒネス監督のインタビューの時で、「啓蒙映画を撮り続けてきたが、最近は訴えることもなくなってきたので、どうしようかと迷った」というようなことを言っていた。
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そこでウカマウ集団はどうしたかというと、今度はボリビアの人達自身の心の問題、混血化も進み、村人の都会への流出も多い今、人々が失いつつある自己のアイデンティティを表現したくなった。
というので生まれたのが「地下の民」である。カラー映画ということもあるが、ドキュメンタリーっぽい作りの重く暗いそれまでの作品とは打って変わったストーリー性のある映画で、踊りの衣装などにも凝ってたし、これなら完全に「映画作品」として楽しめた。
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パレスチナの画家達も、「戦い」を描かなくなって以降の最近作を見ると、多くの人が「パレスチナ独特の織物、文字、色彩、砂漠の風土、などを生かした」作品が目立つ。パレスチナ民族のもともとの色づかいなんか、繊細で、穏やかで、ホントすばらしいんだよ〜。
でも、この3カ月の紛争で、せっかく20年かかって立ち直った彼等がどうなってしまうのか、また戦争画にもどってしまうのだろうか?
とても悲しい。

2001年1月18日
ウカマウ全10作品
全部観るこたあないだろう・・・と思いながら最後の1本も観てきました。
「ただひとつの拳のごとく」これは本当にドキュメンタリーで、NHK特集なんかでどこかの国の内戦をカメラで追ったのを最近ちょくちょく観るが、そういう感じの映像。
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主人公はこれまでの映画と同じ農民や鉱山労働者や主婦たち。ひとつ前の映画「ここから出ていけ」のラストの方で村人たちが「これからは我々農民だけでなく、他の、たとえば町の低賃金労働者たちとも手を組んで搾取する物たちと戦っていかねばならない」というセリフがあるが、それを引き継ぐような形で、とにかくそういう大勢の人達がデモ行進を延々おこなう。軍隊が発砲する。死体の山。1980年と、たった20年前のことなので、町の様子は今とほとんど変わりないから、ボリビアに行った人にはリアルすぎる風景ではないだろうか?
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原題の「la bandera del amanecer」は、日本語にすると「暁の旗」だが、これじゃあ日本で上映しづらいだろうなあ。右翼大喜びみたいな。そういう意図があったかどうか知らないが、記録映画を撮り始めた当初のタイトルを採用して「ただひとつの拳のごとく」にしたらしい。デモ行進の最中に何回かこの言葉も出てきたが、「このようにみんな団結してるぞ!」という感じが出ているので、これで良かったと思う。
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まあ、よくもこんなに見続けたと思うが、モーニング・ショーで、映画館を出ると真っ昼間ってとこが助かってるのかも。夜はアカン。寒いし。それより夕べ観たNHK特集で「近年、銃の小型化が少年兵の増加に拍車をかけた」というのをやっていて、そのほうが精神的にかなりキツかった・・・。

2001年1月17日
批判しちゃうよ
ウカマウ映画もあと残り2本。無理に観ることもないんだが、何か気になる。別に某談話室のK氏や評論家H氏と競争しているわけではないよ〜ん。
「ここから出ていけ」は、なんとなく啓蒙映画のゴーインさを感じて、いやな気分がした。
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冒頭では、町から来た「口ばっかり」の政治公報マンに、「以前、町まで選挙運動に引っ張り出された時、行きはトラックだったが帰りは歩かされた」村人達が、仕返しに、彼等の乗ってきた車を埋めてしまう。そんなユーモラスな行動は人々の心の豊かさが表れていて、これはすごくよかった。
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その後、あるグリンゴ(アメリカ人)の新興宗教グループを村に入れてしまったばっかりに、村民の結束は弱くなり、あげくのはて土地を奪われてしまう、というストーリーなのだが、ちょっとムリがあったような気がする。
きっかけは確かにそれだったのかもしれないが、
1「勝手に不妊処置をして、先住民を断種させようとした」者と、
2「終末思想を持ち込んで村人の働く気力を奪った」者と、
3「鉱脈を発見し、勝手に企業と売買契約をした」者とを、
同じ人物に盛り込むのは欲張りすぎだと思う。
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不妊処置の話しは「コンドルの血」で十分描けていたので、ここでは入れなくてもよかったのではないか?新興宗教の流入で村人の結束が弱って・・・そのため、普通は村全体でよく話しあうべき鉱山開発を簡単にオッケーしてしまった、というつながりはあるかもしれないが。
国家が、鉱山開発のために村人を追い出したり、反対運動で道を封鎖した近隣の村人達を軍隊が強行突破してしまう。という部分だけでも十分ヒドイ話しで、怒りで身体が震える思いがする。
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しかし、じつはそのきっかけとなったのは「優しげな顔をして近づいてきた宣教師」だった、という、実際にあった出来事に基づいて制作された、というのは新聞記事の挿入によって理解できたが、何となくこの結論でいいのか?と、片づかない思いがした。
最後に、また別の宣教師(らしき人)が現われ、もう二度とこういう人物を村に入れない、と決断するのはいいとして、川に投げ込まなくても、と思うのは私だけか?何だか、これだと全体を通して村人達の短絡的な動作ばかり目立つ映画に思えてしまった。

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