〜日記のようなコーナー〜

2001年2月13日
まだ、歯医者(アリジゴクのようじゃあ〜〜)
3本目の治療開始。
私の通っている歯医者は、途中何度か手鏡を持ってきて「ここがムシ歯でーす」「こんなに削りましたー」と見せてくれるんだが、そのたびに「っていうかヤバイだろ、この肌は!」という気持ちになる。ハナの下は荒れてめくれてるわ、1時間半も引っ張られ続けた唇はシワシワだわ、口の周り粉が吹いてるわ。恐ろしいことだ。家の洗面所の電球が60ワットなのがいけないのかも知れない。100ワットのを買ってこなくては。
カゼはとっくに治ってるし、花粉症でもないんだが、人込みに行ったり、熱いものを食べるともう滝のようなハナである。昨日は北浦和の駅前で石焼きカルビ丼を食ってしまって、美術館を半周してもまだハナが止らなかった。義妹に「鼻の下が荒れたときはどうしたらいいか」と相談したが「乳液を小まめにたっぷり塗る」とのことであった。母は「リップクリームが良い」というが、テカテカしてかなわぬ。誰かもっと良い方法を知らないかな。
歯医者の話しだった。
予約時間をもう少しよく考えるべきだった。午前11時の予約なので、朝データを送ったり電話したり、バタバしててご飯を食べずに出かけてしまい、麻酔がきいていて午後2時になった今も食べられない・・・。
・・・・
午後3時、やっと麻酔が切れて食べたが治療中のとこで噛んじゃって痛ーーー!
(あー、日記というより実況やね)

2001年2月12日
イスラエル現代美術展
イスラエルの現代美術というのを埼玉県立美術館まで見に行った。おととし行ってきた印象だと、パレスチナの美術教育は大幅に遅れていたが、イスラエルの作家はアメリカ的な教育を受けているし、もう少しサバけた印象だったが、今回の展示はそんな印象とは違っていた。あるいはこの時期だからこそ、国の代表として意識的に選ばれたのかもしれないが。
結局パレスチナもイスラエルも同じだ。お互いに被害者意識の固まりなのは、芸術家も同じ。
インスタレーション(日常にあるものを並べて意味あり気な空間をつくる芸術手法)に、「エルサレムの砂や石」「つぶされた家具」「有刺鉄線の映像」などを使ったり、タイトルも被害者的なものが目立つ。
「“つぶされた”家ちゃうやろ、“つぶした”家やろが!」などとツッコミを入れてながら見てしまうが、本人的にはそうなのだ。それが戦争なんだと思った。
彼等の日常は、パレスチナ側では「撃たれた子供」「空爆された家」イスラエル側では「リンチされるイスラエル兵」を新聞やらテレビやら一日中流しっぱなしである。これを見て育つ子供がかわいそうだ。
向こうで「パレスチナの子供の絵」として見せらたのは、みんな戦争の絵だった。最初は、こういう絵ばかり選んで私に見せて、洗脳しようとしてるんだろう?と疑っていたが、これしか描けないのである。
日本の小学生に「何でもいいから描いてごらん」と言うと、ほとんどの子供がピカチュウを描くそうだ。ピカチュウでも何でもいいから、戦争じゃない絵を描いてくれ。せめて黄色とかオレンジとか明るい色のクレヨンを手に持ってほしい。

2001年2月11日
半返し
従弟の結婚式に行った。30過ぎてから親戚づきあいが億劫で、弟に「あんた長男なんだし」とか押し付けたりしてたんだが、今回指名されてしまった。「最近太っちゃって服が入らないし、忙しくて買いに行くヒマもないし、」と、のらくら言ってたら伯母が「あたしの貸すから!」と言ったかと思うと翌日本当に宅急便でワンピースが届いて、逃げられない。
で、おととい駅前のATMでお金をおろしたら、ああいう小さい所には珍しくピン札が3枚入っていたので「おっ、これは3万円入れろということか・・・」と多いんだか少ないんだかわかんないが3万円用意した。御祝儀って年々上がり続けているのは、相場が上がっているのか、私が年長になったせいか。どっちもか!!3万円の次は、4は縁起が悪いから一挙に5万円にとんでしまうのだろうか?不安である。
引き出物の習慣って無くなりそうで無くならない。うまいもん食ったんだし、もういいのにね。今までで最も重かったのは横浜から湯飲み6客セット&和菓子詰め合わせを持ち帰った時。キャリーカート持ってくりゃよかった、なんて思った。
最近はカタログで注文するタイプが増えた。カタログを眺めるのは好きだ。モノがいっぱい並んでるのを眺めるのは、何だかコレクター魂をくすぐられるような。しかしいざ選ぶとなるとこれといって必要な物がない。まあそのうち、と思っているうちにハガキを出し忘れて、去年やっぱり注文しわすれたのがある。今回は忘れないようにしなきゃ。

2001年2月10日
写真屋の領収書
じつは私は個人事業主なのである!
とはいっても、会社経営してブイブイいわしてるわけでなく、一回一回仕事やった分だけ、売れた分だけお金をもらう。そういう人はみんな個人事業主といい、この時期「確定申告」というのをやって、税金を払わないといけない。会社員の人は、経理の人が代行してくれているのであって、「あたしはやってないわ」という人は、知らないうちに誰かがやってくれているのである。
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で、本当は、毎日現金出納帳とかそういうものをつけなければいけないのだが、ついつい毎年毎年1年分ためてしまい、あわててエクセルに打ち込んだりしている。数字の羅列に弱いので、すぐ眠くなってしまってなかなか先に進まないし、収支が合わなくて胃が痛くなる。機嫌が悪くなって誰かに八つ当たりするかもしれない。あらかじめ、謝っとこう。ごめんね。(誰に?)
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1年分の領収書とか振込用紙とか、そういった紙類は古雑誌に日付順に貼ってある。それだけはかろうじてやってあった。それを見ながら何月何日何を買ったなど仕訳していく。1年前に何を買ったなんて思い出せない・・・ようでいて、これが結構覚えている。私は子供の頃から極端に、数字や記号や名前などの記憶はダメだったが、どこで誰と会ってどんな話しをしてどう思ったか、とかそういう「シチュエーション記憶」はとても良いのであった。ふふん。
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領収書はとりあえず貼ってあるだけで、仕事用と私用にすら分けていないから、その選り分けから始めなければいけない。そんなわけで、毎年この時期になると、期せずして前年を振り返ることになる。大人になると月日の経つのが異様に早い。とはいえ、365日の一日一日はけっこういろいろある。領収書を見ながら、まるで大掃除でアルバムを見つけた人みたいに記憶をよみがえらせてしまう。この忙しいのに。
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写真の現像の領収書がものすごく多い年がある。以前はよく日本に出稼ぎにきている外国人の友達を撮っては「ママに送ってあげてね」とバンバン焼き増しして贈ってた。その子達がだいたいクリスマス前に帰ってしまうと、2月のこの時期振り返って懐かしく思ったりした。去年も写真屋の領収書が多かった。4月に姪が生まれてオババカしまくっていたから。しかし、それはピタッと止ってしまう。入院してどんどん弱っていく姿は写しづらくなった。そして11月に死んでしまった。暮れにさんざん泣いたのだが。不意をつかれてしまった。

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