〜日記のようなコーナー〜

最近知った。芭蕉がバナナのことだったとは。

↑9月3日、文京区にある「芭蕉庵」の庭にて撮影。屋根を越えた巨大芭蕉。ワビ・サビとは間逆なかんじが。

←入口はこんななのに。中は密林のように草木が生い茂って、蚊に食われてかなわん。

庵の前の神田川では巨大なカメが甲羅干ししていた。カミツキガメではなさそうだが。

お出掛けはぜひ、春先をお奨めする。


        
2006年9月11日
蚊帳と番傘
          
先日夫の両親がきていた時、夫が「最近初めて見て買ったもの」2つ、
「番傘」と「蚊帳」を嬉しそうに出して見せた。
当然70代の両親は体験ありだが、私も使ったことがあるもんだから、
夫が「オレだけ〜?知らなかったのは〜」とがっかりするが、
私は私で(夫よりひとつ下なのに)いきなり年取ったみたいで複雑な気分。
     
蚊帳については前回書いた通り、群馬の祖母の家で使っていた。
たしかに東京の家では蚊帳を使った記憶がないが、
網戸の記憶もない。蚊がいなかったんだろうか?
しかし今の家が出来た時から網戸は入っていたらしいから、
私に記憶がないだけで子供の頃から網戸は普及していたのかもしれない。
      
番傘は、やはり祖母に「おばあちゃん、傘かして」と言ったら
「ホレ」と渡されたのが竹と紙でできた重たい傘だったので、
変な傘だと思ったおぼえがある。
    
網戸、番傘に限らず、全体的に祖母の家は近代化されていなかったようだ。
入口から台所までずっと土間が続いていて、
鍋もやかんも鉄でできていて、カマドと七輪で料理していたし、
風呂と便所は外にあり、紙は新聞紙を使っていた。
たまに遊びに行くのは楽しかったが、小学校5年生から住むことになり、
時々「東京に帰りたい」と言って母を困らせた、という原因は
ここにもあったんじゃないか?と急に思い出した。
「北の国から」みたいだ。
     
蚊帳の話にもどるが、昔は蚊帳が原因で火事が多かったらしい、
という話をきいて思い出したのだが、
雷が鳴って蚊帳に入っている時は、なぜかロウソクを持っていた。
なぜロウソクなんだろう?と思ったら、停電だったからだ。
そういえば昔はよく停電した。
     
雷が鳴ると祖母は「マンジュロク、マンジュロク」と変な呪文を唱えた。
意味は「オレは饅頭を6個も食べるんだぞ、と聞いて雷様がびっくりして帰ってく」
と言っていた。子供の頃は確かに饅頭6個は無理だと思ったが、
大人になってみると、饅頭ぐらいで驚く雷様ってナイーブすぎないか?
        

        
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