〜日記のようなコーナー〜


     
2008年4月16日
アカセガワさん3
           
それで思い出して、また赤瀬川さんの本を読み始めた。
持っていた本は何度目かの引っ越しのとき田舎に送って、どこにあるのわからない。
引っ越しにあたっては、「内田百間(ケンは門構えに月。ネ)全集」と赤瀬川さんの色々な版型の本と、
どちらを手元に残すか迷った末、百間のほうが何冊か読みきれてなかったので残すことにしたのだった。
        
ただ、赤瀬川さんの本がどんどん出るようになったのは「老人力」以降で、
本当にどんどん出たものだから、読むのが追いつかなくて買っていなかった。
待ったおかげ(?)で、文庫本もどんどんどんどん出て読みやすくなった。
        
オツジ姓のほうの小説はどうも見つからない。廃刊になってしまったのか。
あるいは「老人力」以降アカセガワ姓のほうが有名になってしまって、
別タイトルで出ているのか?まだそこまで探してみていないのでわからない。
まあ無理に探しても読み切れないから、それはそれでいいのだけれど。
      
そういえばこの前、急に武者小路実篤が読みたくなって探したが、
「友情」しか見つからなかった。他は廃刊になってしまったのだろうか。
高校生の頃、実篤の小説にちょくちょく登場する「石描きさん」というキャラクターが好きで、
探しては読み、自分でも石ころやジャガイモのようなデコボコした物ばかり描いていた。
        
それで、アカセガワさんの本の話だった。
(寄り道が多すぎるが、こういう所もアカセガワイズムかもしれない。)
          
美学校イベントの前にぜひ読みたいと思っていた「反芸術アンパン」を読んだ。
以前にも読んだはずだったが、まったく読んだ感じが違うのは、
最初に読んだときは、まだ私は展覧会というものを経験していなかったのだ。
          
私が生まれた頃にはすでに、誰でも自由に展覧会を開くことができるのはあたりまえになっていたが、
昔は、選ばれた人(公募展に通った人)しか人前に作品を展示できなかったらしい。
本は「アンデパンダン(無審査)」の展覧会が、盛り上がりを通り越して、
最後は破壊的というか(今はそれも結構あたりまえになってしまったが)パフォーマンスやら、
廃棄物を並べるだけ、とか、ぐちゃぐちゃに、そう移り変わっていく様が面白かった。
       
考えてみると、その頃(1960年代)に行き着いた「反芸術」が、
あたりまえになって、今も続いていて、それを覆すようなものは出てないような気がする。
人間がこれ以上進化しようがないみたいに、芸術ももう進化しないのかもしれない。
        

     
2008年4月15日
アカセガワさん2
           
先日たまたまテレビをつけたら暮れにやった「ハッスル」の再放送をしていて、
元スモウレスラーの曙が「ボノちゃん」というキャラクターで出ていた。
あまりにもーー、くだらなすぎて!久々に何も考えずに爆笑した。
      
曙がボノちゃんになるまでに、K-1の負け続けがあったわけで、
この「負けっぷり」があって、今があるのではないかと思った。
若貴時代のライバルであり、相撲チャンピオンであり、
強い「ヒール(悪役)」からいきなりお笑いへは、
本人も行きたくないし、まわりも受け入れられたかどうか。
しかしあの大晦日のみじめな気絶シーンを見せながら、
なおも一年後にまた負ける、格好悪さを通り越して気持ちが良かった。
        
人間やってきた事すべて無駄なことはひとつもないんだよ、
という誰かの言葉を思い出した。
        
「無駄なことはない」で思い出したが、
下に書いた赤瀬川さんの小説に出会ったのは、
私が短大を出て初めて就職した会社の先輩に本を借りて読んだのが最初だった。
その小説は「尾辻克彦」という赤瀬川さんの別名で書かれていて、
何か賞をとったものらしいのだが、何ともいえず面白かった。
そこからスタートして、次々読むようになった。
           
その会社は半年で倒産してしまい、
新卒フレッシュウーマンがわずか半年で無職のショックと、
自分の(会社選びの)見る目無さで、ひどく落ち込んだ。
まったく過去から消し去りたいようなみじめな記憶だが、
学んだことや出会った物の大きさに、
無駄なことは無かった、と、ちょっと真面目に思ったりした・・・
        

     
2008年4月14日
アカセガワさん1
           
美学校イベントに赤瀬川原平さんの対談があると聞いて楽しみにしていたのだが、
体調不良で中止とのこと、がっかり、というより心配であったが、先ほど
久住昌之さんのブログ(風呂具と変換された・・・)を読んだら、
ストレス性のめまい、命に別状なし、とのことでいくらか安心。
久住さんの赤瀬川「先生」に対する想いなんかも読んで、ほのぼの。
(ブログは個々探してみてね)
       
そもそも私が美学校に入ったきっかけは、こちらにも書いた通りで、
赤瀬川さんの小説にたびたび出てくる「美学校」という、
学校のようなたまり場のような変な場所を、
フィクションだと思ったら本当にあったので面白がって入ってしまった。
しかし赤瀬川さんの教場はとっくに無くなってて残念だった。
       
という話を、
入ったばかりの頃よく言っていたら、石版画の同期の友人が、
「きのう雑誌の撮影で赤瀬川さんが美学校に来ていた、
 その椅子に座って、その茶碗でお茶を飲んだ」
みたいなことを教えてくれて、
いや、そういう「追っかけ」みたいな、ビョーキみたいのではないから、
まいったな・・・
と思って以後、言わないことにした。
        

        
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