〜日記のようなコーナー〜

来年2月の旦那の出演するコンサートチラシ。イラストは私が描きました。
3月に行われる「コンサートと展覧会のコラボ」とはまた別ですが、これも一種のコラボかな?

     
2008年11月7日
琳派(*)
          
間違って「淋派」と打っても検索される・・・
淋しい派って・・・何か嫌だな。
        
上野で「大琳派展」をやっているのだが、もうじき終わってしまう。
気になってはいるものの混んでそうで。しかし琳派ってそんなに人気あったかなあ?
日本美術全体が、このところやけに持ち上げられているが、いったい何があったんだ?
何年か前にミュージアムショップで買った風神雷神のマウスパッド。
外国にお土産に持っていったが、余っていたのを最近引っぱり出して使っている。
ちょっとデカすぎるので縦にしないと置けないという残念な結果に。
作者が誰なのか気にしてなかったが国立博物館所蔵ということで、尾形光琳の作であろう。
        
と、ここまで書いてから、やはりどうしても見たくなって上野に向かう。
金曜日なので微妙だが、ギリギリ平日である。土日よりはましであろう。
           
公園に入ってすぐのところで、フォルクローレの演奏が聞こえて、つい習慣で立ち止まってしまう。
ヘブンアーティストの「マルカマシス」。ずっと前に会った時にはポンチョ姿で、
プーノ(チチカカ湖周辺のペルーの町)出身だと言っていたのだが、
最近誰かのブログで写真を見たら、ネイティブアメリカン(昔で言うインディアン)風の衣装で、
マイクスタンドにはドリームキャッチャーをぶら下げてるし、
いくら派手で目立つからと言って、これでアンデス音楽は変だろう!と思っていたが、
インディアンフルートを使って「映画ラストモヒカン」(ラストも悲観って変換され・・・)
のテーマ曲なんかもレパートリーにしているようなので、まあ納得がいった。
       
納得はいいが、そんな暇はないんだった。琳派琳派・・・
小走りで博物館へ。うがぁー。修学旅行生が。
まず公園内に一群、博物館入口前に一群。どうやら団体は完全入れ替え制のようだ。
入口群をよく観察して見ると、チケットの半券が無い。見終わった奴らか?
では、次の団体が来るまで少々の時間があるはずだ。プチ・ラッキー。
         
時間がないから一気にメインの風神雷神コーナーへ。
もう少し広い部屋にすればいいのに。
確かに、すいていれば三つの風神雷神図を一目で見比べることができる位置だ。
でもどうしようもなく混んでる。イヤホンガイドを着けたおじさんおばさんは、
解説の早さに合わせてしか進めないし、しかもボタン操作が老眼で見づらそうだ。
なんとか掻き分けながら見ていると、遠くから団体の子供らの声が近づいてきて焦る。
      
風神雷神図に関しては、
屏風に使われている絵の具等の劣化について私は詳しくないので、
もしかしたら光琳がトレースした時点では宗達の緑色ももっと鮮やかだったのかもしれないが、
現時点での色使い(好みの問題だが)俵屋宗達の圧勝。宗達サイコー。
尾形光琳も酒井抱一も白と緑色の妙な明るさと墨の濃さの対比がキツすぎて、
不自然な筋肉の盛り上がりやヘソ周りの皺(ヘソ毛か?)が目立ってカッコ悪い。
     
それ以外は「酒井抱一のオイシイとこ取り」といったかんじ。
宗達の大胆な構図と、光琳のデザインセンス、そういうのを全部学んだ上で、
江戸好みのちょっと渋めにアレンジ「これなら、ちょっと家にあってもいいよね?」
って、言ったかどうか知らないけれど。
           
企画展出口の売店は激混みだったが、本館のミュージアムショップはガラガラだった。
だいたい同じ物が売っているのだから、教えてあげればいいのに。
隅々まで見ると、変な物が色々売っていて、つい欲しくなってしまう。
ハニワの絵が付いたエコバッグとか手ぬぐい。今日の所は我慢する。
さすがに特別企画タイアップ菓子は、企画展の場所にしか売ってなかった。
虎屋の何とか。など和菓子系の高そうなの。
          
帰りに公園内の同じ所を通ったら、さっきのペルー人の演奏は終わっていて、
代わりに日本人のヒロという人が、ワンマン・フォルクローレ・バンド(楽団ひとり?)
手にはチャランゴ、口元にサンポーニャを固定、左足にチャフチャス(山羊の爪のパーカッション)
右足に鈴を付けて、さらにカホン(箱状の打楽器)に腰掛けて、バスドラ用のフットペダルで叩く。
        
この人にも20年ぐらい前に路上で会ったことがある。話した事はないが。
そのころで「自分よりちょっとお兄さん?」ぐらいに見えたので、
すっかりおじさんになっていたが、さすがに演奏は上手くなっていたし、
客に向かってニッコリする余裕もできていた。あたりまえか〜。
ヘブンアーティストには他にも「アウキス」という、
友人のフォルクローレ・バンドが登録されているのだが、今日は見あたらなかった。
         
そういうわけで、うちに帰る頃にはすっかり日が暮れてしまった。
琳派を見たのはほんの数分だったのだが。
それ以外の物件に圧倒的に時間を取られるのが上野公園の恐ろしさなのである。
        
(*)琳派とは(ウィキペディアより)
琳派(りんぱ)とは、俵屋宗達、尾形光琳ら江戸時代に活躍し、同傾向の表現手法を用いる美術家・工芸家らを指す名称である。
        
う〜ん、わかりづらい。各々検索しみてください。
きらびやかな、装飾的な作品の画像がネット上にいっぱいあります。
          

     
2008年11月2日
カバー
          
本屋の「カバーいりますか?」問題。
いろいろ検討の結果、最近ようやく、
2冊までは「つけてください」3冊以上買った時は「いりません」
いずれの場合も「下げる袋は要りません」で落ち着いた。
        
検討期間中、まったくカバー無しを試みたが、なぜか落ち着かない。
そこで文房具屋で売っているブックカバーを見たら、たっ高いじゃんよぉ〜。
それに文庫用ばかりで、新書用がない。
単行本は判型がバラバラだから仕方がないにしても、
新書はだいたいどこの出版社も揃っているし、
あれだけ広くフロアをとっているのだから、読んでいる人も多いはずだ。
       
それから、ついでに言うが私は本に挟まっている紙のしおりが気に入らない。
挟んでいる間は良いが、読んでいる間あのしおり、皆どうしているんだろう?
指に挟んでおくべきか、本に挟んでおくべきか、挟むとしたら、読んでいく後か先か、
いずれにしても、挟んでいるページが浮き上がって指で強くおさえてないといけない。
電車の吊革につかまっている時など、ヒラヒラと落ちたりして鬱陶しい。
          
一時期、自分の所蔵する本にはすべてしおりひもを付けた事があった。
しかしセロテープで貼ったものだから、後々汚くなって参った。
最近は本のカバーの折り返し部分を挟んで目印にする事で落ち着いているのだが、
これも本の厚さによってはカバーが後でユルユルになって格好悪い。
           
そんなこんなで、新書用のブックカバーを自分で作ってみることにした。
しおりひもに使うリボンは以前購入したものがまだ大量にある。
布は、そういえば伊右衛門茶の手拭いが小さくて使い道が無かったから、
これを使ってみよう。真っ二つに切ってちょうど2冊分になる。
         
上が新書、下がソフトカバーの単行本。
        
カバーを着けてはみたが・・・
新書って、あっという間に読み終わっちゃうじゃーん!!
しおりを挟むヒマも無かった。道理で売ってないはずだと思った。
            
また、作ってみてから思ったのだが、物をむやみに包むようになるのは
「おかんアート(*注)」の始まりなのではないか?
もし誰かに褒められたりしても、調子に乗らないように気をつけたいと思う。
(褒められそうにはないが)
           
        
(*注)おかんアートとは、年配の女性が手慰みに作る、
もらっても嬉しくないが、いらなくても断りきれない手芸品。
ドレスを着たキューピー人形とか、リボンで作った金魚とか・・・。
        

        
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