〜日記のようなコーナー〜
こういう脱色してない部分が伸びてきてしまった髪を「プリン頭」と言うらしい。

2002年11月29日
ケイタイでメモ2
  
またもケイタイでメモって自分にメールしておいた日記など。
美学校事務局のQさんが私の個展の最終日と舟木一夫のコンサートが重なって行けなかったと言う。妙に納得。
(↑去年の話だが、ふと思い出したので。
 正確には「あなたの個展、最終日に行くつもりで空けてたのに
 姉から船木一夫のチケットもらっちゃって行けなかったのよぉ!」)

2002年 11月 17日 日曜日 2:10 PM

里子@神保町なぜか女子マラソンの応援中。

(↑駅を出たら旗渡されたのでつい。)

2002年 11月 30日 土曜日 2:56 PM

東京駅で「ミスねぶた」と「つんつん津軽」をうたう人見る

(↑駅はあなどれない。
 以前もどこかの駅前で沖縄の踊り?をやってるのを見てて
 美術館に行きそびれた。)

   
2002年11月19日
猫の額
  
外出して遅い時間に、駅から家までに帰る間、
道を横切るネコに2〜3回出会う。
ネコが「夜の集会」に出かける時間だと私は勝手に解釈している。
その時間以外でもネコは頻繁に道を横切る。
とくに向かいの家と自分の(飼い主の)家とを
日に何度も往復しているようだ。
思うに、ネコにとっての「我が家」は
家の前の道と向かいの家の庭も含まれるのではないか。
ウチでご飯食べて(向かいの)庭でフンをする、とか
何時から何時までは(向かいの)庭の日当りが良いが
何時には日が陰るので仕方なく(飼い主の)部屋に入る、とか。
人間は「猫の額ほどの土地」というが
ネコはずいぶんと広い敷地に住んでいる。
        

   
2002年11月13日
私の名前を呼んで
  
ずっと前、友人達とワイワイ騒いだ帰り道、
ある友人が突然「みんなサトコの名前をいっぱい呼ぶね。
サトコはみんなに愛されてるね」と言った。
おかしなことをいう人だなあと思ったが、
あとで考えると、彼女は
「もっと自分の名前を呼んで欲しい」
つまり「もっと自分を愛して欲しい」
と思っていたのだ。しかしその頃は私には
「名前を呼ぶこと」と「愛すること」が
結びついてなかった。
    
それから何年かして、知りあいに赤ちゃんが生まれたとき、
家族がひっきりなしに子供の名前を連呼していたのを見ていて、
「名前を呼ぶことは愛することだ」という話をふと思い出した。
     
姪が生まれた時も、本当によくみんなで名前を呼んでいた。
保育器の中にいて、そのうえ新生児室のガラス越しだというのに。
たしかに名前を呼べば呼ぶほどいとしくなっていくのを感じた。
     
姪が危篤におちいった時も、必死に名前を呼んだ。
呼びつづけていないと、
そのすき間から命が抜け出てしまうような気がした。
名前を呼ぶとその瞬間、ぎゅっと指をにぎるような気がした。
       
しかし、本当はそれは苦しくって仕方ない瞬間だった。
それに気付いた時、私は声が出なくなった。
もうすぐ姪の三回忌がくる。
        

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