〜日記のようなコーナー〜
さてここで問題です。私は誰でしょう?(当たっても何も出ませんが)

     
2008年12月13日
想いは重い
         
ワセダ大学といふ所に初めて行ったよ!なんか緊張しちゃった。
「手作り絵本展2008」という展示を見に行ったのだ。
手作りの絵本は、友人の個展やグループ展で見ることはあるが、
この会の展示を見るのは初めてで、どういう会なのかは良く知らないが、
「世界でたった一つの手づくり絵本」というサブタイトルにある通り、
メジャーな出版物と明らかに違い「すべての子供達に」とか「みんなの幸せを」とか、
そういうアイマイなものではなく「我が子のため」「家族の思い出」「闘病記」といった、
ごく私的な内容のものが多く、自分の気持ちにピタッとこないものは全くこないわけで、
ほとんどが絵も製本も素人の方達だし、巡回展であることから、
触ると崩壊しそうな状態の本もあり、最初の内はフンフンと眺めていた。
      
間接的な知り合い、というのかな?「友人の友人」のブログをたまたま見て、
何となく行ってみたくなったのだが、そういうわけで、
ブログ上のハンドルネーム以外、本名(ペンネーム?)を知らなかったのだが、
絵はブログで見た事があったので、その人の作品はすぐにわかった。
それがねぇ、キてしまったんだな〜うるっと。
死んでしまった猫の事を思い出しながら書いたというお話だけど、
決して暗い悲しいものではなく、いつも見守ってくれている何かが、
時々すい〜っと近づいたと思うと、またすい〜っと去っていく、
そういう感覚を、温かい画風で、またサイズの小ささも、
より「自分のため」に存在する感があって、じわ〜っときてしまった。
        
一度じわっと来てしまうと、困ったもので、
次に手に取った、全く知らない人の作品でまた、胸を打たれてしまった。
小さいときお母さんが病に倒れ、入院していた頃の寂しさなんかを書いたものだったが、
今、冷静に思い出すと、あまり好きな画風ではなかったりするのだけれど、
だからお店で、もし売ってても買わないと思うのだけど、そういう事でなく、
私はやっぱり大切な人達が死んだり病気になったりすることが何よりも怖くて悲しい。
そうい自分の核心にストンッ!と入ってきてしまった。
        
会場には知り合いが一人もいないし、そんなところで泣いてしまうのも、
なんだか恥ずかしいし、それで誰かに声をかけられたりしたら本格的に泣きそうで困るし、
そのうち鼻水が出てくるし、急いで会場を後にした。
もうちょっと有名大学の見物もしてみたかったが、
誰でも一度は撮ってそうな、大隈重信の銅像の写メだけ撮って帰った。
       

     
2008年12月12日
芳名帳
         
展覧会を見に行くと、入り口付近に名前を書くノートが置いてある。
たいてい住所と名前を書いてくる。すると次回の案内がくるようになっている。
まあ、自分の展覧会の時に、結構それが大切だったりするので、
お互い様という気持ちが多分にある。
          
夫婦で見に行った時以外は、必ず作家名のイイヅカ・サトコで書く。
が、送られてくる案内状にたいてい「・」はない。
これは仕方がない。自分でも気恥ずかしいのだから。
でも「ヅ」が「ズ」になっているのは、ちょっとなあ、
それでも日本人?とか思っちゃうんだが、これもまあ仕方がない。
            
だからといって、適当な漢字を当ててくるのはいかがなものか?
「飯塚」はこの他に変換しようがないからいいとして、
なぜ「サトコ」を適当な漢字にするのか。
しかも、たぶん、その人の知り合いにそんな字の人がいるのだろう、
「えーっ?これでサトコって読むのか〜!」と感心するような字を当ててくる。
これでは別人になってしまうではないか。
           
名前をふたつ持つのと、本名(夫の姓)で統一するのと、どっちがいいか、
名前に「・」を入れろ。と言い出した張本人である友人K子に聞いてみたら、
結婚後の名字は、以前の名字よりはずっと良いそうだ。しかし、
夫の姓+私の名前の組み合わせ(字画というのは、組み合わせでみるらしい)は、
依存性が強くなる。とのことで、作家としてどうかと思う。と言われ、
素直に作家名は旧姓のまま通すことにした。
私は頑固者に見えるが本当は素直な性格なのである。
また、友人K子は言うことにいちいちインパクトがあるから、
文字をつい太字にしてみた。(だから何?と言われても。)
           
しかし元来私は怠け者であって、手近に頼れる人間がいると何もしない。
いつ憶えたのやら「立っている者は親でも使え」を子供の頃から実践していた。
一人暮らしをしていた時は仕方なく自分で何でもやっていたが、
今は、また結構、ずぼらに暮らしている。
「依存性」は名前の問題ではなく、性格の問題なのでは・・・??
       

        
前のを見る
もどる