〜日記のようなコーナー〜
シカン展限定キティちゃん
次回はぜひ「インカもっこり」も作ってもらいたい。

     
2009年9月4日
シカン展に行った
         
金曜日限定ペアナイトチケット狙いのため、なかなか行かれなかった「シカン展」
(正確には「特別展・インカ帝国のルーツ 黄金の都シカン」・・・長い!)
に、やっと行ってきた。博物館に着いたのが18時5分前ぐらい。
入り口に「瀬木貴将*コンサート18:00〜」と書いてあり、
「いつの18:00なんだ?」などとツッコミを入れていたら、
なんと当日であった。おお!!そうだったのか。 
やはり私は上野公園に行ったらいつでも必ず、フォルクローレを聴く運命にあるのだ。
と、妙な事に感動している場合ではなく、展示物をとばしてコンサート会場へ。
         
コンサートが終わって、入り口まで戻って最初から展示を見る。
島田教授が発掘を始めた頃からの映像を、要所要所で、
高さ2mぐらいの位置のモニターで流しているのだが、
「後ろを人が歩けるようになるべくモニターの近くで見てください」とあり、
気を遣って真ん前で見上げていたら、首が痛くなった。
土器などの展示物よりもこっちがメイン?ってぐらい、何カ所もあったが、
最初の3カ所ぐらいでギブアップ。
         
「3Dシアター・ナチュラル」って何が「ナチュラル」なんだか、
3Dによる負担や違和感、実写とのバランスを配慮して、パラメーター制御・・・
という説明が書いてあったが、結局良くわからないかった。
内容から言っても別に3Dでなくても良かったんじゃないか?と思った。
しいていえば土ボコリがモワモワっと立ち上る場面がおもしろかった。
ちょっと発掘メンバーの一員になった気分が味わえるかも?
       
というわけで私はあっという間に見終わってしまい、
後はほとんどお土産売り場で過ごし、閉館時間ギリギリまで、
映像も展示も几帳面に見てなかなか戻って来ないkenta90を待つ間に、
「シカン展限定ガチャポン」2回もやってしまった。
ナスカの地上絵のストラップが当たった・・・シカンなのに。
「トゥミ**キティちゃん」が、あまりにも良く出来ていたので感動した。
ご当地キティちゃん恐るべし。世界制覇も夢じゃないかも?
        
フォロー:
さっさと見終わってしまったのは、決してつまらなかったわけではなく、
私はもともと展覧会を見るスピードが超早い。
(だから一日に数件、展覧会のハシゴも可能なわけで)
展示品は、トゥミを横から後ろから見ることはめったにないので、
装飾の細かさと、意外に立体的なのには驚いた。
また、私好みの「小動物の土器」など、
モチェ土器***好きにはたまらんですよ〜。
        
      
*瀬木貴将  日本のフォルクローレ界で(田中健の次ぐらいに)有名な演奏家。
      この展覧会のテーマ曲を提供したらしい。
        
**トゥミ   アンデス文化で生け贄の首を切るために使われた、半円形の祭礼用ナイフ。
      考えてみたら首切りナイフにキティちゃんの顔って・・・
      
***モチェ プレインカ(インカ文明以前)の一つの古代アンデス文化で、
      人の顔や動物や野菜などの形をした妙にリアルで面白い土器が多い。
          
展覧会は10/12まで。関連サイト
(国立科学博物館)http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2009/sican/index.html
(TBS)http://www.tbs.co.jp/sicanten/
          
     
2009年9月13日
つばさ
         
どうでもいい話だが、朝ドラ「つばさ」の
ラジオぽてと社長役の人が奇面組の一堂零に似ている。
(この話題ピンとくる人が果たしているのかどうか・・・)
          

     
2009年9月11日
ぞうきん
         
私の父方の祖母は若い頃、機織りをしていたらしい。
むかしは群馬県には機織りの家は多かったようで、
ある同級生の家にはつい最近まで屋根裏に蚕を飼うスペースがあったそうだ。
うちは私が生まれた頃にはもう家も建て替えてしまっていたし、
祖母が機織りする姿も道具さえも見たことがなかった。
        
祖母は縫い物をすることも好きだったらしく、
晩年は雑巾を縫っては小学校に寄贈していたようだ。
亡くなる二年前に私たちが東京から越してきて同居するまでは、
祖母と伯父の二人暮らしだったから、身近に若い人がいなかったはずで、
やはり祖母も「針穴は気合いで通す」人だったようである。(笑)
        
仏壇の横に町の広報か何かに載ったらしい記念写真が飾られている。
縁側で祖母が正座している横に高く積み上げられた雑巾。
一緒に暮らした頃にはボケて寝たきりだったから祖母の笑顔の記憶がなく、
私はこの写真が大好きなんだけれども、
5年生で転校し(田舎では転校生は珍しいから)朝礼で紹介された、
その時の校長先生が、
「雑巾をたくさん縫って下さった飯塚ハツさんのお孫さんです。」
なんて言うもんだから、
転校早々「ぞうきんババァ」というあだ名を付けられ迷惑であった。
          

             
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