〜日記のようなコーナー〜

ブーゲンビリアに占領された家(本部町にて)


     
2007年12月12日
沖縄3日目<11/28>後半
                     
水族館をあとにして「名護海の駅」へ向かう。海人料理のレストランが目的だが、準備中だった。
すると旦那が「サトコが寝てる間に美味そうな市場を通ったから、そこへ行ってみる!!」
本部町という町の、いかにもその近辺の人が買い物に来る感じの路地で、
ちょうど下北沢の線路わきの路地みたいな、それより狭いかもしれない。
しかし、時間が遅かったせいか、天気が悪いためか、開いている店がほとんど無かった。
         
通りを挟んだ反対側に、なぜか魚屋が3軒ならんでいて、そこに旦那が釘付けになる。
刺身が発砲スチロール皿にドカドカ盛ってあり、どれでも千円だという。
半分にしてもらって何種類か買うことにする。旦那は夢中になって「これは何?これは?」
と聞いて、いちいち「お〜!」とか言うので、おばさんが二人ともクスクス笑っていた。
旦那は興奮して何かすごく得をした顔で戻ってきたが、開けてみたら適切な量を適切な値段で買っていた。
         
適切な量の刺身で小腹を満たしたので、先ほどの海の駅に戻って夕食を食べた。
海の駅(道の駅のひとつだが、海に近いから?)「海人料理海邦丸」というレストランに入る。
紹介されたHPによると、海鮮丼がオススメと書いてあったので、
海鮮丼と、もう一つは魚の種類が日替わりだという、煮魚定食を頼んだ。
煮魚は美味かったし、刺身も美味そうだったが、ご飯が酢飯じゃなかった!残念!!
そういえば、ネーネーズの「黄金の花」の歌詞に「♪・・寿司や納豆食べてますか?・・」
というのが出てくるが、もしかしたら寿司(酢飯)って元々沖縄で食べなかったのでは・・・?
        
レストランでは、BGMにこの旅で初めてサルサがかかっているのを聞いた。
そういえば、ディアマンテスが聞こえたのは嘉手納基地の前の道の駅だけであった。
BGMといえば、どこに行っても三線の音色が聞こえて、その雰囲気は悪くないんだが、
曲がいつも「(BOOMの)島唄」「涙そうそう」ヒットした曲の繰り返しで、いいかげん飽きていた。
今回は「コザ」がどこにあるのかわからないまま通り過ぎてしまったが、
そこへ行ったらもっと多様な音楽が聴けたのかもしれない。
          
本部町市場通り(左)魚屋さんが並ぶ通り(右)肉ならなんでもおまかせ?(閉まっていたので確認できず)
            
刺身に夢中
        
                
夜、名護ヌ前(なぐぬめぇ)という「民謡スナック」に行く。
ちょっと胃が痛いが、気分は昨日よりはましなので、
沖縄に来てネーネーズだけ聴いて帰るのも何だからと行くことにした。
予約をしてなかったが行ってみると、カウンターの中も外も皆くつろいで話している。
お客なのか店の人なのか、さっぱりわからない。
私達の顔を見ると、着物を着たお姉さんと、お兄さんふたりが立ち上がった。
         
これが、思いがけず良かった〜!
沖縄各地の古い民謡を採集というのか、勉強というか、しっかりしていて、
とにかく説明もわかりやすいし、すべて生演奏だし歌もうまい。
お店のHP
http://www.nagunume.com/index.html
           
お客は結局私達だけなのか?と思ったら、ひとりカウンターにいたお兄さん、
その人は武蔵村山に住んだことがあり、
今は出身地である離島に帰って暮らしているそうだ。
        
リクエストとか言われてもさっぱりわからないので、私達が困っていたら、
離島のお兄さんが「ナークニー」と言う。
すると歌のお姉さん(吉田いずみさん)が、
「どこのナークニーにしましょう?レパートリーにあるのは○○と××と・・・」
さっぱりわからない。説明してくれたのによると、「ナークニー」というのは
「私のくに」という意味だから、各村に各村自慢の歌があるらしい。
その他の歌も、元々はタイトルなんて無くて、村で働きながら自然に歌っていたのを、
便宜上、たとえば歌の出だしの一言をタイトルにしてるような案配らしい。
        
離島のお兄さんがいつの間にか帰り、入れ替わりで常連客らしい夫婦が入ってきた。
男性は大学時代八王子に住んだことがあり、今は地元でお土産屋の若旦那。
「うちのオバアが作った」というサーターアンダギーを小皿に分けてくれた。
店で見かけるのは握り拳のようにゴロッとでかいのばかりだが、
その時のは、お団子ぐらいの一口サイズで、実はこれが一般の家庭で普段食べるサイズで、
売ってるような大きいのは、昔はお正月など目出度い時にしか作らなかったそうだ。

若旦那の熱烈なラブコールで、マスターがステージへ。
このマスター(吉田いずみさんのお父さん)の話しが面白くてわかりやすい。
歌詞の内容やその曲にまつわる話、言葉がわからないためトンチンカンだった歌も、
どれも同じに聞こえていた曲も、ひとつひとつ理解が深まる感じがした。
(記憶力の限界で、憶えられはしなかったが。。。)
            
記憶に残った事、というか、ちょうど自分が疑問に思っていたことなので、
とてもタイムリーだったのが、エイサーの話し。
エイサーは元々お盆の「念仏踊り」がはじまりだから、
動きは今のようなアクロバティックなものではなく、
衣装ももっと地味(カラフルな色は高貴な人しか使えなかったから)、
太鼓は高価な物だから1人1台持つなんてとんでもなく1グループに1台。
しかし、伝統、伝統、言っても若い人達がやる気が出ないことにはすたれてしまう。
            
私も、最近日本中どこへ行っても「よさこい」ばっかり見かけるので、
そのうち「よさこい」が日本を代表する伝統芸能になってしまうのかなあ?
なんて心配をしているのだが、これと同じことなんだ、ということがわかった。
これだって若い人達がカッコイイと思うからやっているのであって、
伝統的な踊りだけでは、お祭りは盛り上がらなくなってきているのであろう。
私自身、エイサーは格好いいと思うもんなあ・・・
(「よさこい」は竹の子族やら一世風靡セピアを連想するので、
 どうも気恥ずかしくて好きになれないが、これは世代的なものなんだろう)

最後は、やはりカチャーシーを踊らないと済まないらしい。
那覇のネーネーズも、玉泉洞のエイサーも、最後は「皆さん踊ってください」となるのだが、
観光客は皆、沖縄以外(何と呼ぶか?「内地」とか「本土」とか何か変な感じ)から来てるので
中途半端な笑顔で、両手をモヤモヤっと振って、ダラダラっと歩いてしまう。
すると、先ほどの若旦那が、
「カチャーシーは、別に型なんかないですよ、好きに動いていいんです。
 ここの常連に、いつもタコ踊りする人がいます。」と、ナイトフィーバーみたいなポーズ。
これにはウチの旦那も大喜びでノリノリ。
たいへん充実した沖縄最後の夜であった!
         
名護ヌ前(なぐぬめぇ)のステージ
       
         
旅行記はつづく

        
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